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Posted by あしたさぬき.JP at

2016年02月29日

同士鎌加工の貫(ぬき)-古建築の軸組に重要な構造材

こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


改修中のさぬき市寒川のお寺の庫裡(くり)改修で、解体した土壁の中から出てきた「貫(ぬき)」
貫(ぬき)とは、木造建築の柱の内部に貫穴を彫り抜いて通して柱どうしを繋ぐために貫通した小幅板のことで、土壁と共に古い建物では重要な役割を果たす構造材です。
柱を細長くくり抜き、その穴に「貫(ぬき)を通して「楔(くさび)で固めてありました。

 
この写真の貫(ぬき)は、「同士鎌」(別名:鯖口差合せ)という加工です。
同士鎌とは、貫の加工の種類の1つで、噛み合わせの部分を指す建築用語です。
木材がお互い噛み合って抜けないようになっています。



現在では、貫はほとんど下地材として扱われ、釘で簡単に取り付けられることが多いのですが、
本来は軸組を固めるために重要で地震時にも簡単に外れないようにこのような凝った加工がなされていました。

細かい部材にも手の込んだ仕事をしていた職人の姿を感じることができます☆
古民家の改修はやっぱり楽しいです(*'ω'*)

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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
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Posted by 谷野設計 at 10:16Comments(0)工事の様子古民家探訪建築用語

2016年02月27日

古い日本建築は釘を使っていないのではないの?!ご質問頂きました☆

こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
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谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
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昨日のブログ「和釘(わくぎ)」のことでご質問を受けました。
「古い日本建築は、釘を使っていないと聞いたんですが、このお寺では使っていたんですか?」というご質問です。
ご質問、有難うございます(*^-^*)


日本の伝統建築は、巧みな木組み構造の印象がとても強く、釘を使っていないという説明も良く見かけます。
「釘を用いていない」というのは、正確な説明ではないんです。。

7世紀後半に建てられた法隆寺金堂でも大量の釘を使用しています。
ただ、その釘は一見は見えないように気を配られていて、また釘無し部分と、釘有り部分の場所が使い分けられているんです。


建築物をできるだけ長く維持出来るように、日本の伝統建築は保存の観点から構造を2つに大別することが出来ます。
1つは、半永久的に保存する部分―基礎・建物の重要な柱や軸組など
もう一つは、保存部分を包むバリヤー部分―屋根や塗装膜、縁など


屋根葺材や塗装などの表層部分は消耗品と捉え、短いサイクルで修繕を行い、重要な軸組などを守ります。
それでも、200~300年すると軸組にも、ゆるみや傾斜などが現れます。
その時には、一度解体して不具合な部分を修理し、また組み立て直す。精巧な継ぎ手や仕口といった木組みがそれを可能にしています。

解体し、組み直す際に容易で、且つ解体に伴う破損も最小限に抑えられるように、軸組みなどの構造上主要な場所では釘は不使用です。
釘の使用は、消耗品的扱いのバリヤー部分に限られます。


建物を長く持たせようとする先人の知恵が、釘の使用の仕方にも表れています。
それにしても、建物を建てるときに200年以上先(ここまで先と分かっていたかどうかは別として)のことまで想定していたなんて、
本当に素晴らしいなと感じます。

現在の日本の住宅寿命を考えると、先人の見習うべきことの多さに気づかされます。


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Posted by 谷野設計 at 12:03Comments(0)日本建築豆知識

2016年02月26日

お寺の庫裡に使用されていた和釘(わくぎ)

こんにちは☆お読みいただき、有難うございます。
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谷野設計の一級建築士・谷野行範です(^^)


今回は、和釘(わくぎ)について。

写真は、改修中のお寺の庫裡で使われていた和釘です。

現在一般的に釘と言われているのは洋釘で、胴が丸い硬度の高いものです。
明治時代以降に使われだし、釘が錆びることにより木材との接合が強くなりますが、錆の浸食が進むと朽ちてしまいます。

「和釘」は、鉄を真赤に焼き鍛えることで、釘の表面に酸化被膜が形成され、これにより洋釘に比べて格段に浸食に強くなります。
その為、何百年も経つ建物から当時の姿そのままで出てきます。

この写真の和釘も、少し割れた部分から覗いている鉄が、全く錆びていない状態で驚きました。


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Posted by 谷野設計 at 23:14Comments(0)工事の様子古民家探訪

2016年02月25日

ほぞ加工の歴史と道具―石の大工道具とサヌカイト

こんにちは☆
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先日の「ほぞ加工」の記事に書いた、縄文時代から「ほぞ」加工が存在したことについて
沼津の源さんからコメントを頂きました☆
記事はこちら→「ほぞ加工の跡ーほぞ加工の歴史は縄文時代から」
沼津の源さん、有難うございます(*^-^*)

『こんばんは~♬

えっ 縄文時代にですか?

まだ充分な道具も無かったですよね きっと

僕達のご先祖様は 凄いですね♪』


(ほぞ穴の跡)

頂いたコメントの中で、縄文時代の道具のことが出てきましたので、今回はその道具に触れたいと思います☆

縄文時代にはまだ金属製の道具は無く、石を様々に加工して使用していました。
住居の柱に使用する木材(主に硬くて傷みにくい栗の木が使用されていたようです)は石の斧が用いられています。
また、石の他に狩猟で得た動物や魚の骨を石で削り、加工して小さな道具を作っていたようです。

石は打ち欠いて作る打製石器と、石斧のように砥石で磨いて作る磨製石器の2種類に大別できます。
なんと、縄文時代には現在の大工道具の基となる道具(斧・手斧・ノミなど)がほぼ石で作られていたという研究結果があるんです!

そして、さぬき県民として特記したいことが、その原材料である石!
四国4県の他、広島・岡山・兵庫・島根・鳥取・大阪・和歌山・大分など、西日本の殆どの地域で発掘された石器が香川で採れる「サヌカイト」なのです。
割ると鋭い刃のようになる加工のしやすさから選ばれたと思われます。

サヌカイトは、旧石器時代から石器の材料として使用されており、瀬戸内海がまだ無い陸続きの時には近県に歩いて持ち運ばれ、瀬戸内海が出現した縄文時代に船が作られ、船を利用して広まったようです。
讃岐三白よりずっと以前に、香川の外交にとって重要な役割をサヌカイトが持っていたのかもしれませんね☆
なんだか誇らしいです☆

サヌカイトで家を作ってみたいと言ったら、棟梁はどんな反応をするだろう~(*'ω'*)


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Posted by 谷野設計 at 11:04Comments(0)日本建築豆知識

2016年02月24日

ほぞ加工の跡-ほぞの歴史は縄文時代から

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寒川のお寺庫裡の改修が進んでいます。

部屋のごとの段差を解消するために、もとの床板を剥いだ際に、柱に開いた「ほぞ穴」が浮き彫りになりました。
木材同士を接合するときに、互いの木材が拘束し合うようにするために、木材に施す凸部を「ほぞ」、受ける凹部を「ほぞ穴」と言います。

床のレベルを低くした場所では柱に開いたほぞ穴が露出してしまうため、大工さんがほぞ穴を木材で補う作業をしている最中です。

ところで、この木材加工の技術の歴史に驚かされます。
昨年の初めに石川県能登町にある縄文時代の遺跡「真脇(まわき)遺跡」から先端が突起状の「ほぞ」に加工された日本最古の角材が見つかりました。

出土した角材は、全長1メートル、最大幅16センチ、厚さ7センチのもので、長さ10センチ、太さ6センチの突起が残っていました。
接合部には垂直に部材が組み合わさるように「ほぞ」や接合部が精巧に削られていて現代の「ほぞ」加工に近い状態だったそうです。
この角材は住居でなく特別な祭事用の施設の柱だった可能性が高いとの研究者の見解ですが、角材の「ほぞ」加工が縄文時代から存在していたことには驚きます。

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2016年02月23日

三光神社―真田幸村縁の地

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大阪のNNA株式会社というコンサルティング会社を経営されている戦国武将好きの佐藤先生のお勧めで三光神社を訪れました。

三光神社は、真田山にある神社で、元は姫山神社と言われていたそうです。全国的に真田山の三光の名称の方が有名になり三光神社と改めたとのこと。

創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至っているそうです。

大阪城の出城、真田丸が置かれたことで有名です。



階段を上がって、一つ目の鳥居を裏から見た様子。

神社に向かって右手には、もう一つの参道に沿って石灯篭が並んでいます。


反対側に目を向けると、「真田の抜穴」と言われる洞窟と幸村像がありました。

神社の由緒略歴によると

「大阪城の出城のあった処で慶長元和の大阪合戦の頃真田幸村が此の地に偃月城と名付ける塁を定め本城よりここに至るまで地下に暗道を設けたと言い伝えられ今なおその痕跡を三光宮鎮座の階下にあり」 (原文のまま)

と記されています。

その地下道の出入り口跡が、真田幸村像の左手に見える洞窟です。

毎度のことながら、つい熱中して覗き込んでしまい、肝心の洞窟のアップ写真を撮るのを忘れていました(/ω\)汗


洞窟内には入れないようになっていますが、11月のお祭りの際には扉が開かれます。
このような抜け穴が他にも数か所あったそうですが、子供の遊び場となって危険ということで埋められ、現在はこの三光神社のみが残っています。

さらに階段を上がると、社殿。


階段手前の狛犬。


社殿前の鳥居には、もう一つの鳥居の跡がありました。
亀腹(かめばら)とういう土台の石と石柱が残っています。これは、大阪大空襲の際に爆弾の直撃を受けた痕だそうです。
戦後新たに鳥居を造る際に、戦災の教訓を後世に伝えるという意味合いでそのまま残したそうです。

社殿は、平入拝殿の流造り。
屋根の棟と並行に入り口があり、庇部分まで屋根が伸びている構造です。
庇部分は緩やかな曲線の唐破風になっています。

唐破風が向拝によく用いられるのは、結界の意味があるためです。


社殿の手前の石畳に2か所他と色香違う部分が見えますね。

石柱など柱を建てる時の礎石の形跡のようです。ここにも鳥居があったのかもしれません。



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Posted by 谷野設計 at 16:56Comments(0)神社の探訪記屋根

2016年02月22日

深い軒を支える出桁

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改修工事中のさぬき市のお寺の庫裡(くり)。
軒下に古民家ならではの「出桁(だしげた)」があります☆
壁から等間隔に飛び出ているように見えるものが「出梁(だしばり)」、出梁に支えられている軒下の長い木材が「出桁」です。

軒を大きく出すために梁(出梁)を突出し、桁(出桁)を受ける構法を「出桁造り」といい、深い軒の出と意匠は家の格を表しました。
関東では重厚な屋根が好まれ多く見られるのですが、関西では軽い軒先が好まれたので繊細な感じで数も少ないです。

この出桁は、このブログでも何度か触れた「斗供(ときょう)」が簡素化されたものです。
斗供についてはこちら↓
http://taninosekkei.ashita-sanuki.jp/e879242.html




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Posted by 谷野設計 at 09:34Comments(0)古民家探訪寺社建築の構造屋根

2016年02月18日

玄関―玄人が来るところ(改修工事中のお寺住職のお話)

こんにちは☆
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現在、庫裡(くり)の改修中のさぬき市のお寺。
庭には、先住職が剪定した梅が綺麗に咲いていました。

様々な知識が豊富な先住職は、会うたびに色んなことを教えてくれます☆

事務所にある蝋梅が私の無茶苦茶な剪定でユニークな花のつき方をしてしまったので、木の剪定の仕方も教えてもらいました(*^-^*)


今回教えてもらったのは、玄関について。
写真は、庫裡(くり)の正式な玄関です。表玄関です。
唐破風の曲線がとても美しいです☆

玄関は禅に入る入口を意味し、「玄人が来るところ」=「玄関」で、玄人とはお坊を表しているのだそう。
「玄関」という字を納得!


玄関の歴史を見ると、平安時代の中門廊(ちゅうもんろう)という玄関の前身であったものが武家の台頭とともに発展し、江戸時代に確立。
身分格差が表現される部分であった為、一部のものしか玄関を持つことが許可されていませんでした。
明治に入りやっと一般家庭にも作られるようになりました。
それでも、お客用の「表玄関」と家族用の「内玄関」が分けられ、現在のように公私の区別のない玄関は近年になってのことです。

日本の住まいは、寺社の歴史と密接な関係があることを改めて感じさせられますね☆


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Posted by 谷野設計 at 17:54Comments(0)お寺の探訪記日本建築豆知識

2016年02月17日

八雲旧居で見つけた欄間

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今回は、小泉八雲旧居で見た欄間について。
欄間(らんま)は、天井と鴨居との間に設ける開口のことで、採光・換気などの目的の他、部屋と部屋、部屋と縁側、縁側と外部との間の連続性を持たせるために透かしの手法を取り入れています。

平安時代の絵巻物には既に描かれていて、長い歴史を持っています。
欄間は、大黒柱と並び、建物の品格を表し、凝った技法で作られたものは寺院や高級住宅には欠かすことのできないものでした。

八雲旧居では、模様の異なる障子欄間がいくつかありました。

↑の欄間は、櫛形の壁ぬき欄間。真ん中に吊束があり竹組が組まれています。
裏から障子を当てています。

↑こちらは、先ほどの欄間とよく似ていますが、吊束が無いものです。
どちらも次の間にあり、部屋と広縁との間に設けられている欄間で「明かり欄間」という採光の為の欄間です。
次の間が座敷と廊下の緩衝帯となる役割が大きく、欄間もその役割に応じて部屋内の壁との調和を図った仕上げにしています。


こちらは、2枚見えますね。
どちらも障子欄間で格子のピッチが手前(部屋側)と奥(庭側)で異なります。
こちらも明かり欄間です。


↑は、居間と書斎の間に設けられた間越欄間には採光や換気のためではなく、装飾として襖の欄間がありました。

日の光を和らげるために障子欄間外面に多用しているのが特徴的でした。

欄間には、装飾が凝ったものも多くありますが、八雲旧居の欄間は質素堅実な侍屋敷を象徴していますね☆

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Posted by 谷野設計 at 14:18Comments(0)古民家探訪

2016年02月16日

小泉八雲旧居(元は侍屋敷)で見た2つの床(とこ)-「行」と「草」

こんにちは☆
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小泉八雲旧居で見た2つの床のご紹介☆


床の間は、格式によって「真(しん)」「行(ぎょう)」「草(そう)」の3つに大別できます。
書道でいうと「真」は楷書、「行」は行書、「草」は草書。硬・中・軟と言い換えると分かりやすいかもしれません。
基準については曖昧なところも多いのですが、おおよそ使用している木材や床構えによって分類できます。


↓こちらは、書斎にある「行」の床の間。
押入れの奥に床(とこ)と書院があります。
床脇を省略し、棚を書院に取り込んだ形ですね。
書院の縁側には火灯窓(かとうまど)があります。丸火灯という形状のものです。

↓は、書院側から広縁側の壁にある織部窓(おりべまど)を写したもの。掛け障子が掛けられています。
織部窓というのは、床の間の意匠と照明を兼ねた窓で、茶室、数寄屋普請の床の間の脇壁にある下地窓のことです。

↓は、広縁側から織部窓(おりべまど)を写したもの。この織部窓、ちょっと不思議な点がありまして、掛け障子は床の外側にあるのが一般的なのですが、こちらの床の間は掛け障子が内側にありました。

その織部窓の左官仕上げの部分が素晴らしかった☆
縁をハマグリの貝の合わせ口の先端部分のように紡錘形(ほうすいけい)に仕上げることを「蛤刃(はまぐりば)」といい、左官の仕事としてかなりの技術を要するものですが、とても綺麗な蛤刃でした!


2つ目の床の間は、限りなく簡略化された床の間で「草」に入ると思われます。



床の間の上部にある壁を「下がり壁」といい、その小壁を受け止める横木を「落とし掛け」といいます。
この落とし掛けは、戦国時代突然の敵の侵入に備えて武器として使うため、取り外し自由にしていたという説もあります。


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Posted by 谷野設計 at 22:03Comments(0)古民家探訪建築用語建具床の間