2016年01月29日
松江城の石垣と刻紋探し
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
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谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
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今回は、松江城の石垣
場所に応じて、野面積(のずらづみ)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)が使い分けられています☆
野面積は、自然石をそのまま積み上げていく方法。
打込接は、槌(つち)で叩いて整形した割石を使用し、隙間を間詰石(まづめいし)で埋めて積み上げる方法。
切込接は、大きさ、形が一定に整形された切石(きりいし)を用いて、それぞれの石の切り口を合わせて積み上げる方法。
松江城の石垣では、打込接が最も多いようでした。 急な勾配を造るのに、切込接には劣りますが野面積よりも適しているという特徴があります。
そして、以前名古屋城に行った知り合いから送ってもらった写真で知った、城の石垣に掘られた刻紋。
松江城にもあるか探してみたところ、ありました(*^-^*)
↓は、松江城の初代藩主堀江家の家紋で「分銅紋(ぶんどうもん)」

この分銅紋は、火点(かてん)という本坂を駆け上がってきた敵軍を迎え撃つ際に重要な場所である石垣に多く見られました。
登城する家来たちの目に必ず家紋が目に入るように選んで造られたと考えられるそうです。
その他にも、様々な刻紋が見られました。
私は見つけられなかったのですが、彫刻ではなく墨で描かれたものも残っているそうです。
はっきり写真に写らないものもあったので、ほんの一部ですが、様々な紋様があって刻紋探しだけでも十分に楽しめます☆
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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
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2016年01月28日
千利休ゆかりの茶室
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松江の歴史館の一角に、千利休ゆかりの茶室が復元されています。
三畳台目(さんじょうだいめ)のこの茶室は、松江で最も古いもので、安土桃山時代からの歴史があるそうです。
松江藩の家老を勤めた大橋茂衛門(おおはしもえもん)が京極忠高(きょうごくただたか)に召されて松江に移り住んだ際に屋敷に移築したもの。
大橋家に渡る以前には、千利休が門人、堀尾但馬(ほりおたじま)に譲ったという説や、福島正則が千利休の指導の下に建てたという説があります。
幕末まで大橋家にありましたが、明治5年に松江市宍道町の木幡家(こわた)に移築され、明治30年に解体され、同家に保管されていたものを復元したものが歴史館にあります。
貴人口から見た茶室内部。(正面)
草庵風茶室を特徴づける、台(大)目構えという茶室の造りで、千利休の晩年に多く見られる造りです。
極限まで余分なものを排除した茶室で、さらに客と亭主を区切るパーティションの役目をする中柱と下がり壁で構成されます。
奥に見える窓は、風炉先窓(ふろさきまど)と色紙窓(しきしまど)。
風炉先窓は、点前座(てまえざ)の明るさを確保しすると共に換気の役目を果たすために、点前畳の前方下部に取り付けられます。
色紙窓は、上下2段の窓で、その中心がずれているのが特徴。
貴人口から見た内部(左側)
手前に床の間。奥の白い襖部分が、茶道口。
内腰掛け。
亭主の案内を待つ間や中立(なかだち)という休憩中に客人が腰を掛けて待つ場所。
腰掛け周りには、役石。大きなものが正客用、その周りに一般客用の霰零し(あられこぼし)を敷いてあります。
手水鉢(ちょうずばち)。
茶室を聖域と考え、聖域に入る前の清めとして手水鉢が置かれるようになりました。
茶室外の露地(ろじ)部分にも、飛び石が配置されています。
↑こちらが茶室の裏にあたる部分。
写真上部にある棚が刀掛け。刀掛け横の壁には、福島正則が加藤清正を招いたときに清正の三尺に余る長刀が刀掛けに納まらず、やむなく開けたといわれる穴が開いています。
正面の窓は、風炉先窓として造られた下地窓。
下地窓は、千利休が荒れ果てて崩れかけた茅屋の壁を見て、茶室に取り入れることを思いついたという逸話があります。
土壁の土を敢えて塗り残した風情をだすのが下地窓の特徴。でも、実際には、塗り残すのではなく、下地の小舞とは別に皮付きの葭(よし)を組み合わせて造ります。
こちらは、躙口(にじりぐち)。
草庵風の茶室を特徴づける要素の一つで、屈んでようやく人が入れるだけの出入り口です。
表側が板戸、裏側は桟戸となっています。
あり合わせの雨戸を切り取って粗末に作ったことを表現する茶人独特の表現法の為、下枠は敷居から外れないように加工されるものの、上端は枠を取り付けないのが特徴です。
躙口の上には竹の連子子が打ち付けられた連子窓(れんじまど)
離宮の草庵風茶室に見られる意匠が随所に施されていた茶室でした。
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2016年01月26日
家老屋敷をモデルにした松江歴史館
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島根県松江城の東堀(東側の内堀)には、かつて家老屋敷が集まっていました。
その家老屋敷の場所に建った松江歴史館に行ってきました。
江戸時代後期、この東堀には家老の有沢家、朝日家、乙部家、柳多家、中老の脇坂家の屋敷がありました。
松江歴史館は、朝日家と乙部家の敷地に位置します。
建物は、乙部家の明治時代の古い写真と、朝日家の長屋などを参考に建てられました。
↓の写真は、「隅櫓(すみやぐら)」
物見櫓(ものみやぐら)の役割をしています。
見晴らしの良い位置に建てられ、角部分には、見張りの為の窓があります。
↓隅櫓に繋がる長屋門。
↑こちらは、復元された家老朝日家の長屋。
上部は漆喰、下部は下見板張りの土壁。
中央に出入り口用の戸口があり、左右二つに区切られています。
2階部分は低い屋根裏部屋があります。
近年まで住まいとして機能していたそうで、歴史館の開館に伴い解体、修理して復元されました。
古い材料をそのまま使用しています。
面白いのは、歴史館を建設する際の発掘調査で、地上げを行っていた形跡が見つかったこと。
江戸時代初期、は堀尾家の屋敷があったのですが、今の地表面から約1.5メートル下に礎石が同間隔に並んだ状態で発見されました。
その礎石を線で結ぶと長方形の建物平面が復元できたそうです。
この辺りは、昔から地盤の弱い低湿地だったため、盛り土を行って建てた屋敷も次第に不同沈下し、その度に盛り土を繰り返していたようです。
そうした幾度かの盛り土工事により、現在の地表面の高さに達したといわれています。
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2016年01月25日
島根県松江の鼕(どう)
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今回は、建物ではないのですが、松江で見つけたもののご紹介です☆
武家屋敷の裏門近くにある建物を覗いてみると、そこは「鼕(どう)展示場」となっていて、
大太鼓(松江では鼕(どう)と呼ばれるもの)が展示してありました。
松江では、古くは皮の径と胴の長さが同程度の太鼓を「鼕(どう)」、短いものを「太鼓」と呼ぶ習わしがあるそうです。
展示場の中では、毎年行われる鼕行列の映像も見られます。
松江市内の郷土行事の一つで宮練り神事の前駆となる行事。市内の30余りの町内に古くから伝わり、稔(みのり)の神の発動と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ります。
大太鼓の大きさは、150~200センチで、これを宮造り座台(鼕台)に2~3つ乗せ、各町内ごとに行列を組んで、叩きながら市内を練り歩く行事。
松江に新しく出来たという資料館にも、鼕の展示がありました。
鼕の叩き方や鼕台、おそろいの法被(はっぴ)など、それぞれの町内ごとに個性があるようです。
古くから伝わるその土地の伝統行事も、興味深いです(*^-^*)
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2016年01月22日
松江の武家屋敷―台所・湯殿
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松江の武家屋敷。今回は、母屋南東側に位置する台所と湯殿。
湯殿の直ぐ近くに、井戸があります。

湯殿は、今でいうお風呂場。
二畳ほどのスペースに木桶のお風呂があり、床は板張りです。
出入り口は外からと台所側と2か所あります。
こちらは、長四畳。奥は納戸に繋がり、内玄関の間に、右手側は納戸に、左側は台所に繋がります。
こちらは、台所。
竈(かまど)やカメなど、当時の台所に必須だったものが沢山残されていました。
三和土で仕上げられた部分と、板張りの部分があります。
三和土(たたき)土間。
奉公人の玄関であり、作業スペースでもあるスペースです。
建物の間取りの取り方などは、農家住宅とあまり変わらず、武家屋敷の特徴が出ている部分といえば、表の客人スペースくらいでした。
それでも、当時の古民具などが沢山展示されているので、かつての生活ぶりが垣間見れて面白かったです☆
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2016年01月20日
島根県松江の武家屋敷―裏の私用スペース
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島根県松江の城下町、塩見縄手にある「武家屋敷」。
今回は、屋敷内の裏側のご紹介☆

床の間のある座敷を西側から裏に廻ると、家族部屋の前に出ました。
広さは六畳で床があります。
その隣に当主居間があります。↓
広縁に少し突き出た形にあるのが、書院。その奥に、床・床脇とあります。こちらの部屋も六畳ほど。
この書院は、妻板書院というもので、付け書院の側面が塗り壁ではなく、妻板(つまいた)という一枚板で作られる形式です。
ななめ横から見ると、床と床脇がよく見えます。
床には刀が飾ってあります。
床脇にあるのは、刀箪笥(かたなたんす)。
上・中級武士はこの箪笥の中に有事に家来に持たせる刀剣を多く蔵して備えたそうです。
当主居間の東隣は、襖で仕切られた奥方居間。
こちらは座敷のみの六畳です。
化粧道具やお歯黒道具などが展示してありました。
すべての部屋の前に、広縁が続いていて、北の庭園を眺められるように造られています。
家族部屋の部分は、屋根が架け直されていて後で増築された部分であるようでした。
表の客人スペースは、柾目の長押であったのに対し、裏の私用スペースは杉の面皮を使用しているなどの違いがあります。
次回は、台所やお風呂を覗きます☆
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2016年01月19日
島根県松江の武家屋敷-表(客人スペース)
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お読みいただき、有難うございます。
島根県松江の城下町、塩見縄手にある「武家屋敷」。
今回は、屋敷内の表側のご紹介☆

長屋門を入ると目の前にあるのが母屋です。
母屋は約70坪で、表側の式台玄関から座敷に至る部分と、裏側の私生活の部分では造りも材料も異なり、武家の公私の区別の厳しさを示しています。
正面の入り口は、内玄関で、ここは家族などの私用に使う出入り口です。
三和土(たたき)土間を上がると、「内玄関の間」六畳の座敷があります。
内玄関の西隣には、客人用の式台のある玄関。
式台を上がると、玄関の間があり、その奥に次の間があります。
次の間の北面には武者隠。
次に西隣に続く十畳の座敷は邸内で最も立派な部屋です。
座敷の前から裏側に続く庭園は、広さは広いものの飾りを省いた質素な造りで、自然を生かした質実剛健の気風が伺えます。
床(とこ)には香をたき、床脇には鎧・兜などを飾っていたそうです。
床の間は、縁側から遠い方に書院がある定形外の床の間でした。
表側、公用の部分は、杉の面皮柱に柾目の長押。天井も高く、客人用の意味合いが随所に出ています。
屋敷の裏側に廻ると、家族の部屋があり、天井も低く造りも質素で、井戸・湯殿・台所など、当時の生活が窺えます。
裏側の私用部分は、また次回ご紹介します☆
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2016年01月18日
島根県松江の城下町「塩見縄手(しおみなわて)と長屋門
こんにちは☆
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お読みいただき、有難うございます。
松江城の城下町の通り、塩見縄手(しおみなわて)。
初代出雲藩主「堀尾吉晴」が1607年(慶長12年)に、城地の亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を掘削して内堀と並行する道路や屋敷を造営して出来たのがこの塩見縄手という侍町通り。
縄手とは、縄のように一筋に伸びた道路のことで、塩見縄手には、二百石~六百石の中流武士の家中屋敷が並んでいたそうです。
塩見というのは、この通りに住んでいた塩見小兵衛が異例の栄進を遂げたため、それを称えてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになりました。
その塩見小兵衛が一時住んでいた屋敷が、松江の文化財に指定されている「武家屋敷」です。
中流武士の屋敷は、本来武家屋敷ではなく、侍屋敷ですが、厳密に区別して使われることは無くなり、侍屋敷を武家屋敷と呼ぶことが多くなりました。
城下町の侍屋敷は領主から与えられる社宅のようなもので、地位が変われば屋敷換えが行われました。
現在の屋敷は、1733年(享保18年)の大火で焼失後に再建されたもので、約275年前の姿をほぼ保っているそうです。
明治には、漢学者「滝川亀太郎」が住んでいたそう。
入り口の長屋門(ながやもん)は、武士の屋敷の特徴の一つで、中間(ちゅうげん)という武家奉公人の住居としても使用されていました。
中間部分が門となっていて、左右に門番の部屋や仲間部屋・廁が設けられているのが一般的です。
諸大名が自分の屋敷の周囲に家臣などの為の長屋を建てて住まわせていたのを一部に門を開いて一棟としたのが長屋門の始まりで、江戸時代に多く建てられました。
こちらの長屋門は、昭和62年に改修工事がなされ、享保年間往時の姿に復元されたとのこと。
居室として使用されていた座敷には、古道具類が展示されていました。
行燈や提灯など、好きな人にはたまらない品だろうなあ~と眺めつつ、私はやっぱり建物の方が好物です(*^-^*)
小窓の部分は、スライドで開閉させるもの。木製のスライド窓、現在の住宅にあったらとってもオシャレだなあ~
雨戸にも、小窓?のようなものがありました。
門の道路側は、物見窓と呼ばれる窓があり、外部に対しての防備の一つとなっています。
次回は、屋敷内部に進みます☆
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2016年01月15日
小泉八雲旧居 -大復旧工事の調査によって再現
こんにちは☆
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お読みいただき、有難うございます。
小泉八雲旧居は、昭和57年~58年に老朽化のため大規模な復旧工事が行われました。
その際に、建物の再建当時や、八雲氏が住んでいたころの形状、これまでの修理の状況などが細かく調査されています。
建設当初は茅葺、明治5年に現在の桟瓦に改められたこと、瓦には3種あり、三回屋根補修が行われた形跡があること、
壁中塗、上塗りとうの繕い補修が数回行われている形跡があることなど、
建物の辿ってきた形跡が調査により明らかになりました。
八雲旧居として公開されているのは母屋の一部ですが、母屋以外にも土蔵、共侍部屋、塀など屋敷全体がこの昭和の工事により修理されました。
八雲氏の住んでいた当時の形に復旧する必要から、建物の痕跡を細かく調べ区分しながらの解体、調査。
そして、使える部材を極力残す形で行い、補足材は同種材の乾燥材で補足されています。
復旧工事の報告書は当時の松江市の地図や家相図などの資料も添付され、建物一つ一つの各部分に対しての細かい調査内容と工事内容が記され、とても読み応えのある資料です☆
さて、その復旧工事を経て、見ることのできる八雲旧居の内部。
触れたいところが山ほどありますが、松江で訪れた他の場所もご紹介したいので、追々ゆっくりご紹介しようと思います(*'ω'*)
それにしても、この雰囲気、写真を見ているだけで癒されます (#^.^#)
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2016年01月14日
お寺の庫裡の改修―三和土(たたき)
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改修工事を行っている、お寺の庫裡(庫裡)の床下部分の三和土(たたき)。
コンクリートの無い時代に、地面を固める方法として使われていました。
三和土は、砂利を含んだ粘土に消石灰と苦塩(にがり)を混ぜて練り、塗って叩き固めた敲き土(たたきつち)の略で、3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」といいます。
石灰は粘土の硬化を助け、苦塩は冬季の凍結を防ぐ役割があります。土は地元の土を使用するのが一般的なため、地域によって色合いが違います。
三和土は土間だけでなく、古い建物の場合、床下の土に使われている場合も多いんです。
これは、土の中の空気の層を締め固めることによって、地盤の凹凸や沈下の防止といった効果と、防腐の効果があるからです。
三和土の断面を見ることはなかなかないので、とても貴重な体験です☆
目が詰まった土はとても固くて、先人の知恵に脱帽でした。
コンクリート施工よりずっと手間と時間がかかる上に、その土地土地で使用する土や季節により配合も異なるため、全国一律にこれが正解!というのがないことは三和土のデメリットです。
でも、コンクリートのように熱を持たないので夏は涼しく、強度も劣りません。もちろん環境にも優しい。
何よりも、その土地土地の職人の技と知恵が凝縮された施工法は、日本の大切な伝統技術。
改修では、コンクリートで固め直す部分も一部ありますが、三和土部分を残して施工していきます。
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