2016年02月02日
松江城天守閣―階段の仕掛け他
こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今回は松江城内部の天守閣1階~最上階へ。

お城ならではの面白い構造の一つが、階段です。
急勾配で上り下りも一苦労です。
敵兵が攻め込んできた時を想定して、取り外しの出来るように軽い桐材を使用しています。
城内の兵が上階に逃げた後、階段を取り外して上階に引き上げると、敵兵は上がれない、という仕組みです。
更に、1階と4階の床下には階段の開口部を塞ぐための水平引き戸も付けられています。
引き戸を引くと、階段がどこにあるのか分からないようになります。


1階で注目すべきは、40センチ角はあるだろう太い柱。
「包板矧合わせ(つつみいたはぎあわせ)」という柱で、真ん中の芯になる本柱の周りに板をかぶせ、その上を「かすがい」という金具で打ち付けたり、鉄の輪で巻いて太くしています。
太くて頑丈な柱にするための工夫ですね☆
因みに、創建時は、1階にはトイレと人質を閉じ込めておくための「人質蔵」があったそうですが、現在はその名残はありません。
2階・3階の階段の位置も創建時とは異なっているそうです。
藩主が変わるごとに天守内部も改装されていったことを物語っています。

壁が外部にせり出している部分には、石落としが見えます。石垣をよじ登った真上に位置します。
1層と2層の屋根の間を利用しているため、外部からは分かりづらくなっています。
2階には、建物に関係する展示物が沢山ありました。

こちらは、金具。築城当初に使用された瓦留や、午違蝶番などがあります。

鳥衾(とりふすま)という瓦。(写真上と写真下の上部棚)
鬼瓦の上に乗せる瓦で、五三桐の文様は築城当初のもの。
三つ葉葵の文様は、松平藩主の際のものです。

巴瓦(ともえがわら)。(写真の下段)
種類がとても豊富で様々な紋様の巴瓦が使用されていますが、こちらは、築城当初のものと思われる三つ巴紋の巴瓦。

平瓦。
いくつか平瓦の展示があったのですが、この平瓦には築城当時の堀尾家の使用した分銅紋の刻印があります。
この他、元禄に補修が行われた際に補充された瓦に、年代と職人の名前と思われる刻印が残されていました。


こちらは、鬼瓦。
各面がそれぞれ違う顔をしています。どの鬼瓦にも角が無いのが特徴です。


三階には、窓際の板壁に架けられた小さな階段がありました。
以前はその場所に武者隠しがあったとされていますが、現在は屋根に通じているようです。
なぜ屋根に通じているのかははっきりと分かっていません。


4階の西側中央には2つの小部屋が外に突き出した形であります。
向かって左にあるのが(上の写真)が箱便所というお殿様専用のトイレ。
写真では暗くて見づらいのですが、光が差し込んでいる部分が、鉄砲狭間です。
この場所は、大きな破風(はふ)の内側にあり、天守閣内から本丸にいる敵兵に向けての銃撃に最も有効な場所であったと考えられます。
それにしても、トイレから攻撃というのはこの時代でないと考えられないですね( ゚Д゚)

そしていよいよ天守閣の最上階「天狗の間」
四方を見渡すことのできるよう、壁が無い「望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)。
眺めがあまりに良いので、外ばかりを撮って、肝心の内部写真を撮り忘れました。。。
お城ならではの工夫が沢山見られて、とても楽しい探訪でした。
住居にそのままこの仕掛けは使用できませんが、その仕掛けの目的が一貫しているという点には見習うところもある気がします。
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今回は松江城内部の天守閣1階~最上階へ。
お城ならではの面白い構造の一つが、階段です。
急勾配で上り下りも一苦労です。
敵兵が攻め込んできた時を想定して、取り外しの出来るように軽い桐材を使用しています。
城内の兵が上階に逃げた後、階段を取り外して上階に引き上げると、敵兵は上がれない、という仕組みです。
更に、1階と4階の床下には階段の開口部を塞ぐための水平引き戸も付けられています。
引き戸を引くと、階段がどこにあるのか分からないようになります。
1階で注目すべきは、40センチ角はあるだろう太い柱。
「包板矧合わせ(つつみいたはぎあわせ)」という柱で、真ん中の芯になる本柱の周りに板をかぶせ、その上を「かすがい」という金具で打ち付けたり、鉄の輪で巻いて太くしています。
太くて頑丈な柱にするための工夫ですね☆
因みに、創建時は、1階にはトイレと人質を閉じ込めておくための「人質蔵」があったそうですが、現在はその名残はありません。
2階・3階の階段の位置も創建時とは異なっているそうです。
藩主が変わるごとに天守内部も改装されていったことを物語っています。
壁が外部にせり出している部分には、石落としが見えます。石垣をよじ登った真上に位置します。
1層と2層の屋根の間を利用しているため、外部からは分かりづらくなっています。
2階には、建物に関係する展示物が沢山ありました。
こちらは、金具。築城当初に使用された瓦留や、午違蝶番などがあります。
鳥衾(とりふすま)という瓦。(写真上と写真下の上部棚)
鬼瓦の上に乗せる瓦で、五三桐の文様は築城当初のもの。
三つ葉葵の文様は、松平藩主の際のものです。
巴瓦(ともえがわら)。(写真の下段)
種類がとても豊富で様々な紋様の巴瓦が使用されていますが、こちらは、築城当初のものと思われる三つ巴紋の巴瓦。
平瓦。
いくつか平瓦の展示があったのですが、この平瓦には築城当時の堀尾家の使用した分銅紋の刻印があります。
この他、元禄に補修が行われた際に補充された瓦に、年代と職人の名前と思われる刻印が残されていました。
こちらは、鬼瓦。
各面がそれぞれ違う顔をしています。どの鬼瓦にも角が無いのが特徴です。
三階には、窓際の板壁に架けられた小さな階段がありました。
以前はその場所に武者隠しがあったとされていますが、現在は屋根に通じているようです。
なぜ屋根に通じているのかははっきりと分かっていません。
4階の西側中央には2つの小部屋が外に突き出した形であります。
向かって左にあるのが(上の写真)が箱便所というお殿様専用のトイレ。
写真では暗くて見づらいのですが、光が差し込んでいる部分が、鉄砲狭間です。
この場所は、大きな破風(はふ)の内側にあり、天守閣内から本丸にいる敵兵に向けての銃撃に最も有効な場所であったと考えられます。
それにしても、トイレから攻撃というのはこの時代でないと考えられないですね( ゚Д゚)
そしていよいよ天守閣の最上階「天狗の間」
四方を見渡すことのできるよう、壁が無い「望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)。
眺めがあまりに良いので、外ばかりを撮って、肝心の内部写真を撮り忘れました。。。
お城ならではの工夫が沢山見られて、とても楽しい探訪でした。
住居にそのままこの仕掛けは使用できませんが、その仕掛けの目的が一貫しているという点には見習うところもある気がします。
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp