2016年02月15日
釘隠し(くぎかくし)
こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
古い建物に見られる釘隠し。
長押(なげし)や扉に打った大釘の頭を隠すための化粧金具を「釘隠し」と言います。
古くは木製が多く、元々は半球状お椀のような形のもので唄(ばい)、饅頭(まんじゅう)金物、乳(ちち)金物などと呼ばれていましたが、平安時代中期に花弁の形をしたものが現れ、それから装飾として発展しました。
建築装飾が盛んになった桃山時代に広く普及し、金銅や銅などデザインとして確立していきました。
下の写真は、六葉形。最も広まった一般的な形です。

六葉以外にも多様な形があり書院造の凝った建物には、部屋ごとに異なる釘隠しが使用されていたりして面白いです。
因みに、襖などの引手の金物装飾は、この釘隠しの装飾がもとになったとされています。
釘の頭を隠すという細かい部分への配慮が、和風建築の意匠発展に繋がっているんですね☆
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp 続きを読む
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古い建物に見られる釘隠し。
長押(なげし)や扉に打った大釘の頭を隠すための化粧金具を「釘隠し」と言います。
古くは木製が多く、元々は半球状お椀のような形のもので唄(ばい)、饅頭(まんじゅう)金物、乳(ちち)金物などと呼ばれていましたが、平安時代中期に花弁の形をしたものが現れ、それから装飾として発展しました。
建築装飾が盛んになった桃山時代に広く普及し、金銅や銅などデザインとして確立していきました。
下の写真は、六葉形。最も広まった一般的な形です。
六葉以外にも多様な形があり書院造の凝った建物には、部屋ごとに異なる釘隠しが使用されていたりして面白いです。
因みに、襖などの引手の金物装飾は、この釘隠しの装飾がもとになったとされています。
釘の頭を隠すという細かい部分への配慮が、和風建築の意匠発展に繋がっているんですね☆
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2016年02月12日
伝統構法の耐震性能の素晴らしさ―耐震診断の測定結果
こんにちは☆お読みいただき、有難うございます。
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の一級建築士・谷野行範です(^^)
年末に実施した古民家の耐震診断。
今回の古民家は約200年程前に建てられた、お寺の庫裏です。
当然ながら柱の下には、コンクリート製の基礎はなく、長石や石の上に直接柱を建ててあります。
いわゆる「伝統構法」で建てられた建物です。
現在一般的に行われている「耐震診断」は、コンクリート製の基礎の上に土台を敷き、その上に柱を立てる在来工法で建てた建物しか対応が出来ません。
今回行った耐震診断は、香川県で初めての試みとなる伝統構法に適した「動的耐震診断」を行いました。
敷地の微振動と建物の微振動を測定して、その建物の持つ固有振動を測定します。
その固有振動での特徴を解析して、建物の安全性のレベルを割り出します。
測定時には、床や天井また一部の土壁も壊して、ほとんど柱と一部の土壁の状態で測定しました。
地震への耐力を持つ土壁も壊してましたから、「測定結果は悪いだろう」と思っていたところ、
測定評価は「伝統構法本来の揺れを吸収する状態で、地震時の倒壊の恐れが少ない。」という結果に。
柱だけの状態で、この診断結果に驚きました。
日本古来からの知恵と技術の詰まった、伝統構法で建てられた建物の凄さに改めて感心しました。
もっとも、一部の柱の下には白蟻被害や外部に面した水がかりの柱は腐っていたので、柱の抜き換えや補強が必要です。
伝統構法本来の特性を生かして、構造的に補強を行い、更に現代の生活から将来まで長く愛される建物に生まれ変われる様に・・・
私の経験と職人の技を込めて、難しいけれども楽しい工事です。
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当然ながら柱の下には、コンクリート製の基礎はなく、長石や石の上に直接柱を建ててあります。
いわゆる「伝統構法」で建てられた建物です。
現在一般的に行われている「耐震診断」は、コンクリート製の基礎の上に土台を敷き、その上に柱を立てる在来工法で建てた建物しか対応が出来ません。
今回行った耐震診断は、香川県で初めての試みとなる伝統構法に適した「動的耐震診断」を行いました。
敷地の微振動と建物の微振動を測定して、その建物の持つ固有振動を測定します。
その固有振動での特徴を解析して、建物の安全性のレベルを割り出します。
測定時には、床や天井また一部の土壁も壊して、ほとんど柱と一部の土壁の状態で測定しました。
地震への耐力を持つ土壁も壊してましたから、「測定結果は悪いだろう」と思っていたところ、
測定評価は「伝統構法本来の揺れを吸収する状態で、地震時の倒壊の恐れが少ない。」という結果に。
柱だけの状態で、この診断結果に驚きました。
日本古来からの知恵と技術の詰まった、伝統構法で建てられた建物の凄さに改めて感心しました。
もっとも、一部の柱の下には白蟻被害や外部に面した水がかりの柱は腐っていたので、柱の抜き換えや補強が必要です。
伝統構法本来の特性を生かして、構造的に補強を行い、更に現代の生活から将来まで長く愛される建物に生まれ変われる様に・・・
私の経験と職人の技を込めて、難しいけれども楽しい工事です。
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2016年02月11日
梁を見て昔と今の棟梁が会話する
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谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
改修工事中のお寺の庫裡(くり)
部屋ごとの床の段差を直しました。

天井の梁を見ていると、横で棟梁が「昔の棟梁の遊び心やなあ~」と一言。

なんだか、梁を見て昔と今の棟梁が会話しているような不思議な感覚がしました☆
それを気づいてくれる棟梁がいるということが、昔この建物に携わった棟梁が喜んでいるかも知れないなあ~と。
建物を受け継いで行くということはお施主様の想いだけでなく、その建物に関わった職人さんの想いも受け継ぐということなのだなと改めて感じました。
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天井の梁を見ていると、横で棟梁が「昔の棟梁の遊び心やなあ~」と一言。
なんだか、梁を見て昔と今の棟梁が会話しているような不思議な感覚がしました☆
それを気づいてくれる棟梁がいるということが、昔この建物に携わった棟梁が喜んでいるかも知れないなあ~と。
建物を受け継いで行くということはお施主様の想いだけでなく、その建物に関わった職人さんの想いも受け継ぐということなのだなと改めて感じました。
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2016年02月10日
大阪城の焔硝蔵(えんしょうぐら)内部特別公開
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お読みいただき、有難うございます。
大阪城の内部特別公開の3つ目は、「焔硝蔵(えんしょうぐら)」です。
写真の奥に屋根がちらっと見えるのが焔硝蔵(えんしょうぐら)です。白いテントは、特別公開の為の受付になっていました。

焔硝蔵とは、火薬庫のことです。
そもそも、焔硝(えんしょう)は硝石を精製して作った硝酸カリウムのことで、黒色火薬の原料です。
この焔硝蔵も徳川時代の際築によるものですが、江戸時代のまま残っているのは全国でもこの一棟のみだそうです。


屋根は本瓦葺き。


壁・天井・床の全てが石造りという構造も他には全く例がないものです。

石は花崗岩の切石で、石同士の接合は漆喰で固められていました。

扉は2重扉になっています。
焔硝蔵には全く詳しくないのですが、「埋土蔵(うずみどぞう)という半地下式が最初で、引火防止には良いものの、火薬が湿りやすく部材が腐りやすいことから、総石造りになったそうです。
内部はどこを見ても綺麗に切りそろえられた石と、接合部に塗られた漆喰が近代アートの様でした。
少し神秘的な感じにも見え、とても火薬庫とは思えませんでした。
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焔硝蔵とは、火薬庫のことです。
そもそも、焔硝(えんしょう)は硝石を精製して作った硝酸カリウムのことで、黒色火薬の原料です。
この焔硝蔵も徳川時代の際築によるものですが、江戸時代のまま残っているのは全国でもこの一棟のみだそうです。
屋根は本瓦葺き。
壁・天井・床の全てが石造りという構造も他には全く例がないものです。
石は花崗岩の切石で、石同士の接合は漆喰で固められていました。
扉は2重扉になっています。
焔硝蔵には全く詳しくないのですが、「埋土蔵(うずみどぞう)という半地下式が最初で、引火防止には良いものの、火薬が湿りやすく部材が腐りやすいことから、総石造りになったそうです。
内部はどこを見ても綺麗に切りそろえられた石と、接合部に塗られた漆喰が近代アートの様でした。
少し神秘的な感じにも見え、とても火薬庫とは思えませんでした。
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2016年02月09日
大阪城 千貫櫓(せんがんやぐら)
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お読みいただき、有難うございます。
今回は、大阪城の内部特別公開中の櫓の第二回目「千貫櫓(せんがんやぐら)」
大手門を北西部から守るための重要な役割を持った隅櫓(すみやぐら)です。大阪城再築初期に建てられた城内最古の建造物で、二層構造になっています。1620年創建で1961年(昭和36年)に解体修理されています。
千貫という名称は、石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐねた時に「千貫文だしても奪いたい」と言われたことに由来するそうです。
内部は、鉄砲狭間(てっぽうさま)や石落としなど正面入り口を守るための仕掛けがあります。

こちらは、建物の裏側に当たります。

現在、多聞櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)の間を繋ぐ渡り廊下を改修中です。

建物の北側から中に入ります。

建物に入ってすぐ左手の壁には、千貫櫓に使用されていた「懸魚(げぎょ)」が飾ってありました。
懸魚は、屋根の妻を飾るもので、水に縁のある魚を飾ることで火除けのまじないをしたことが始まりです。
千貫櫓には、西面2階屋根に唐破風(からはふ)があり、他の櫓と比べ格式が高かったことが屋根から分かります。

建物内部は、内室とそれを囲む武者走りという廊下からなっています。
内室は建具で4室に仕切られるようになっていて、全ての柱が等間隔に並んだ正方形となっています。


南面からは多聞櫓とを結ぶ渡り廊下の改修の様子が見えました。この日は、塀の瓦替えをしているところでした。


東南部分の内室には2階に上がる階段があります。
今回は2階へは上がれないようになっていたのが残念です。。

こちらは、階段のある内室の南にあたる武者走りの天井にある、荷揚げの為の開口部。
荷揚げの為の滑車が天井に取り付けられるようにしてありました。
この荷揚げ装置は、明治以降に作られた可能性があるそうです。
そういえば、昔の家には2階に荷揚げをするために滑車を用いた民家もありました。
今の家にもあると面白いなとふと考えたり…

西面から堀を眺めた様子。


堀に沿った西面、南面には、鉄砲狭間や石落としがあります。
狭間も石落としもケヤキを使用した木製で蓋を外すと開口が現れます。
この千貫櫓は江戸時代、大阪城守衛の最高責任者である大阪城代の管理下に置かれたそうです。
中で夕涼みをしたり、配下の役人たちに料理を振る舞ったりもされたとか。
それだけ、大阪城の櫓の中でも重要なものだったのですね☆
************************
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大手門を北西部から守るための重要な役割を持った隅櫓(すみやぐら)です。大阪城再築初期に建てられた城内最古の建造物で、二層構造になっています。1620年創建で1961年(昭和36年)に解体修理されています。
千貫という名称は、石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐねた時に「千貫文だしても奪いたい」と言われたことに由来するそうです。
内部は、鉄砲狭間(てっぽうさま)や石落としなど正面入り口を守るための仕掛けがあります。
こちらは、建物の裏側に当たります。

現在、多聞櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)の間を繋ぐ渡り廊下を改修中です。
建物の北側から中に入ります。
建物に入ってすぐ左手の壁には、千貫櫓に使用されていた「懸魚(げぎょ)」が飾ってありました。
懸魚は、屋根の妻を飾るもので、水に縁のある魚を飾ることで火除けのまじないをしたことが始まりです。
千貫櫓には、西面2階屋根に唐破風(からはふ)があり、他の櫓と比べ格式が高かったことが屋根から分かります。
建物内部は、内室とそれを囲む武者走りという廊下からなっています。
内室は建具で4室に仕切られるようになっていて、全ての柱が等間隔に並んだ正方形となっています。
南面からは多聞櫓とを結ぶ渡り廊下の改修の様子が見えました。この日は、塀の瓦替えをしているところでした。
東南部分の内室には2階に上がる階段があります。
今回は2階へは上がれないようになっていたのが残念です。。
こちらは、階段のある内室の南にあたる武者走りの天井にある、荷揚げの為の開口部。
荷揚げの為の滑車が天井に取り付けられるようにしてありました。
この荷揚げ装置は、明治以降に作られた可能性があるそうです。
そういえば、昔の家には2階に荷揚げをするために滑車を用いた民家もありました。
今の家にもあると面白いなとふと考えたり…
西面から堀を眺めた様子。
堀に沿った西面、南面には、鉄砲狭間や石落としがあります。
狭間も石落としもケヤキを使用した木製で蓋を外すと開口が現れます。
この千貫櫓は江戸時代、大阪城守衛の最高責任者である大阪城代の管理下に置かれたそうです。
中で夕涼みをしたり、配下の役人たちに料理を振る舞ったりもされたとか。
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2016年02月08日
大阪城多聞櫓(たもんやぐら)
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大阪城で内部特別公開されている多聞櫓(たもんやぐら)、千貫櫓(せんがんやぐら)、焔硝蔵(えんしょうぐら)に先週末行ってきました。
今回は、多聞櫓(たもんやぐら)をご紹介します☆
公開されているのは、大手口の多聞櫓。
大阪城の4つある出入り口の一つで、表玄関に当たる「大手口」を入り、桝形(ますがた)という防衛のための四角く開けた場所を囲むように建っています。
侵入していた敵を迎え撃つ役割を持った建物です。
他の桝形の場所にもあったのですが、現在は大手口の多聞櫓だけが残っています。
徳川幕府の大阪城再築により建造されましたが、その後落雷で焼失。現在の多聞櫓は幕末に再建され、昭和44年に解体修理されたものです。
多聞とは、石垣の上に建てられた長屋のことで、この大手口多聞櫓は渡櫓と続櫓からなっています。
城壁としての機能と、兵士が詰める櫓、武器を納める蔵としての機能を併せ持っています。

桝形から見た渡櫓(わたりやぐら)。
下に櫓門(やぐらもん)という鉄板張りの大門を有しています。

桝形から見た続櫓(つづきやぐら)。
渡櫓の東に位置し、内部は渡櫓と繋がっています。

内部見学の入り口は、続櫓の南端にあります。
中に入る前に桝形側の石垣を見ると、ここにも刻紋がいくつかありました☆
最近、刻紋を探すのが上手くなった気がします(*^-^*)



中に入ると、桝形側が武者走りという通路、反対側に部屋が縦長に続いています。

↑壁の奥に仕切られた部屋が並んでいます。

こちらは、武者走り側の壁。

床に近い位置には、桝形に向かって鉄砲狭間(てっぽうさま)が。


桝形側についている窓は、重構造になっていました。内側は引違の障子窓。奥は縦格子に突き出し窓。

部屋は、9・9・12・9・15・12畳の6室あります。部屋の内部は入れませんでしたが、それぞれの部屋は漆喰塗りの壁で仕切られていました。

続櫓を北端まで進むと、小階段を上がった先に渡櫓に繋がります。


直ぐ目を奪われたのは、立派な梁や小屋組み。

渡櫓からは、桝形がよく見えます。

渡櫓は4室(公開されているのは内3室)からなっていて、各部屋は梁までの壁で上部は繋がっています。
中央の丁度大門上に当たる部屋が最も床が高くなっています。

門の真上は、櫓落としの仕掛けがあります。


内部の木材は、梁が松、壁に杉、柱に檜が使用されていて、その他にも戸袋や狭間にはケヤキが使用されているようです。

中央の部屋から次の部屋を見ると、かなりの段差があることが分かります。
約60センチほどの段差がありました。
一番奥の部屋は、千貫櫓(せんがんやぐら)に続く渡り廊下に出るのですが、現在渡り廊下の改修中で奥は閉じられていました。
外から見て想像していたよりも内部はとても広くて驚きました☆
************************
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今回は、多聞櫓(たもんやぐら)をご紹介します☆
公開されているのは、大手口の多聞櫓。
大阪城の4つある出入り口の一つで、表玄関に当たる「大手口」を入り、桝形(ますがた)という防衛のための四角く開けた場所を囲むように建っています。
侵入していた敵を迎え撃つ役割を持った建物です。
他の桝形の場所にもあったのですが、現在は大手口の多聞櫓だけが残っています。
徳川幕府の大阪城再築により建造されましたが、その後落雷で焼失。現在の多聞櫓は幕末に再建され、昭和44年に解体修理されたものです。
多聞とは、石垣の上に建てられた長屋のことで、この大手口多聞櫓は渡櫓と続櫓からなっています。
城壁としての機能と、兵士が詰める櫓、武器を納める蔵としての機能を併せ持っています。
桝形から見た渡櫓(わたりやぐら)。
下に櫓門(やぐらもん)という鉄板張りの大門を有しています。

桝形から見た続櫓(つづきやぐら)。
渡櫓の東に位置し、内部は渡櫓と繋がっています。
内部見学の入り口は、続櫓の南端にあります。
中に入る前に桝形側の石垣を見ると、ここにも刻紋がいくつかありました☆
最近、刻紋を探すのが上手くなった気がします(*^-^*)


中に入ると、桝形側が武者走りという通路、反対側に部屋が縦長に続いています。
↑壁の奥に仕切られた部屋が並んでいます。
こちらは、武者走り側の壁。
床に近い位置には、桝形に向かって鉄砲狭間(てっぽうさま)が。
桝形側についている窓は、重構造になっていました。内側は引違の障子窓。奥は縦格子に突き出し窓。
部屋は、9・9・12・9・15・12畳の6室あります。部屋の内部は入れませんでしたが、それぞれの部屋は漆喰塗りの壁で仕切られていました。
続櫓を北端まで進むと、小階段を上がった先に渡櫓に繋がります。

直ぐ目を奪われたのは、立派な梁や小屋組み。
渡櫓からは、桝形がよく見えます。
渡櫓は4室(公開されているのは内3室)からなっていて、各部屋は梁までの壁で上部は繋がっています。
中央の丁度大門上に当たる部屋が最も床が高くなっています。
門の真上は、櫓落としの仕掛けがあります。
内部の木材は、梁が松、壁に杉、柱に檜が使用されていて、その他にも戸袋や狭間にはケヤキが使用されているようです。
中央の部屋から次の部屋を見ると、かなりの段差があることが分かります。
約60センチほどの段差がありました。
一番奥の部屋は、千貫櫓(せんがんやぐら)に続く渡り廊下に出るのですが、現在渡り廊下の改修中で奥は閉じられていました。
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2016年02月06日
豊臣時代の大阪城石垣跡発掘現場
こんばんは⭐️
豊臣時代の大阪城石垣発掘現場の一般公開がされるという事で行ってきました( ⁼̴̀꒳⁼̴́ )✧

大阪城天守閣の南東にある金蔵の東側に発掘調査の現場が有ります。
今月2日に発掘されたばかりの櫓の焼失後と思われる痕跡も見られました。
写真そのままだと分かりづらいので、詳しくは後日載せますね⭐️
大阪城では丁度、櫓の内部も公開されていたのでそちらもじっくり見て来ました⭐️
そして、大阪城と所縁のある神社も少し廻ることが出来ました⭐️
色々面白い探訪が出来て大満足です(◍•ᴗ•◍)
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豊臣時代の大阪城石垣発掘現場の一般公開がされるという事で行ってきました( ⁼̴̀꒳⁼̴́ )✧

大阪城天守閣の南東にある金蔵の東側に発掘調査の現場が有ります。
今月2日に発掘されたばかりの櫓の焼失後と思われる痕跡も見られました。
写真そのままだと分かりづらいので、詳しくは後日載せますね⭐️
大阪城では丁度、櫓の内部も公開されていたのでそちらもじっくり見て来ました⭐️
そして、大阪城と所縁のある神社も少し廻ることが出来ました⭐️
色々面白い探訪が出来て大満足です(◍•ᴗ•◍)
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2016年02月04日
お寺の庫裏 の工事中木製の換気口を発見
改修工事中のお寺の庫裏で発見⭐️
改修工事で部屋ごとの段差が多かった床をフラットにする作業中。
木製の換気口を見つけました。

手前に以前改修をした時に付けたと思われる板があって見えづらいですが、木の枠に菱形に加工した木がはめ込まれています。

菱形に加工されているのは、空気を通りやすくする為の工夫です。

今は壁が無い状態ですが、これから再生される庫裏が楽しみです⭐️
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木製の換気口を見つけました。

手前に以前改修をした時に付けたと思われる板があって見えづらいですが、木の枠に菱形に加工した木がはめ込まれています。

菱形に加工されているのは、空気を通りやすくする為の工夫です。

今は壁が無い状態ですが、これから再生される庫裏が楽しみです⭐️
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2016年02月03日
朝から大興奮-大阪城石垣発掘現場が一般公開
今日の朝、飛び込んできたニュース。
『国特別史跡・大坂城跡(大阪城公園、大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣公開プロジェクトを進めている大阪市は2日、石垣の一部を再発掘し、大坂夏の陣(1615年)で 櫓(やぐら) などの建造物が焼損した跡を新たに確認したと発表した。
発掘場所は現在の天守閣の南東に位置し、1984年に確認されていた石垣の周辺を範囲を広げて再調査。表土を約2メートル除去し、石垣の上端部を長さ約5メートル出土させたところ、瓦などが焼けたことを示す赤茶けた土壌が見つかった。市の担当者は、「石垣上にあったとされる櫓の存在を示すもの」としている。』(読売新聞より)
今週末の6日、7日の二日間は発掘調査現場が一般公開されることになりました。
行きたい~( ゚Д゚)!!
と大興奮中です。
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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
『国特別史跡・大坂城跡(大阪城公園、大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣公開プロジェクトを進めている大阪市は2日、石垣の一部を再発掘し、大坂夏の陣(1615年)で 櫓(やぐら) などの建造物が焼損した跡を新たに確認したと発表した。
発掘場所は現在の天守閣の南東に位置し、1984年に確認されていた石垣の周辺を範囲を広げて再調査。表土を約2メートル除去し、石垣の上端部を長さ約5メートル出土させたところ、瓦などが焼けたことを示す赤茶けた土壌が見つかった。市の担当者は、「石垣上にあったとされる櫓の存在を示すもの」としている。』(読売新聞より)
今週末の6日、7日の二日間は発掘調査現場が一般公開されることになりました。
行きたい~( ゚Д゚)!!
と大興奮中です。
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2016年02月02日
松江城天守閣―階段の仕掛け他
こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今回は松江城内部の天守閣1階~最上階へ。

お城ならではの面白い構造の一つが、階段です。
急勾配で上り下りも一苦労です。
敵兵が攻め込んできた時を想定して、取り外しの出来るように軽い桐材を使用しています。
城内の兵が上階に逃げた後、階段を取り外して上階に引き上げると、敵兵は上がれない、という仕組みです。
更に、1階と4階の床下には階段の開口部を塞ぐための水平引き戸も付けられています。
引き戸を引くと、階段がどこにあるのか分からないようになります。


1階で注目すべきは、40センチ角はあるだろう太い柱。
「包板矧合わせ(つつみいたはぎあわせ)」という柱で、真ん中の芯になる本柱の周りに板をかぶせ、その上を「かすがい」という金具で打ち付けたり、鉄の輪で巻いて太くしています。
太くて頑丈な柱にするための工夫ですね☆
因みに、創建時は、1階にはトイレと人質を閉じ込めておくための「人質蔵」があったそうですが、現在はその名残はありません。
2階・3階の階段の位置も創建時とは異なっているそうです。
藩主が変わるごとに天守内部も改装されていったことを物語っています。

壁が外部にせり出している部分には、石落としが見えます。石垣をよじ登った真上に位置します。
1層と2層の屋根の間を利用しているため、外部からは分かりづらくなっています。
2階には、建物に関係する展示物が沢山ありました。

こちらは、金具。築城当初に使用された瓦留や、午違蝶番などがあります。

鳥衾(とりふすま)という瓦。(写真上と写真下の上部棚)
鬼瓦の上に乗せる瓦で、五三桐の文様は築城当初のもの。
三つ葉葵の文様は、松平藩主の際のものです。

巴瓦(ともえがわら)。(写真の下段)
種類がとても豊富で様々な紋様の巴瓦が使用されていますが、こちらは、築城当初のものと思われる三つ巴紋の巴瓦。

平瓦。
いくつか平瓦の展示があったのですが、この平瓦には築城当時の堀尾家の使用した分銅紋の刻印があります。
この他、元禄に補修が行われた際に補充された瓦に、年代と職人の名前と思われる刻印が残されていました。


こちらは、鬼瓦。
各面がそれぞれ違う顔をしています。どの鬼瓦にも角が無いのが特徴です。


三階には、窓際の板壁に架けられた小さな階段がありました。
以前はその場所に武者隠しがあったとされていますが、現在は屋根に通じているようです。
なぜ屋根に通じているのかははっきりと分かっていません。


4階の西側中央には2つの小部屋が外に突き出した形であります。
向かって左にあるのが(上の写真)が箱便所というお殿様専用のトイレ。
写真では暗くて見づらいのですが、光が差し込んでいる部分が、鉄砲狭間です。
この場所は、大きな破風(はふ)の内側にあり、天守閣内から本丸にいる敵兵に向けての銃撃に最も有効な場所であったと考えられます。
それにしても、トイレから攻撃というのはこの時代でないと考えられないですね( ゚Д゚)

そしていよいよ天守閣の最上階「天狗の間」
四方を見渡すことのできるよう、壁が無い「望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)。
眺めがあまりに良いので、外ばかりを撮って、肝心の内部写真を撮り忘れました。。。
お城ならではの工夫が沢山見られて、とても楽しい探訪でした。
住居にそのままこの仕掛けは使用できませんが、その仕掛けの目的が一貫しているという点には見習うところもある気がします。
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今回は松江城内部の天守閣1階~最上階へ。
お城ならではの面白い構造の一つが、階段です。
急勾配で上り下りも一苦労です。
敵兵が攻め込んできた時を想定して、取り外しの出来るように軽い桐材を使用しています。
城内の兵が上階に逃げた後、階段を取り外して上階に引き上げると、敵兵は上がれない、という仕組みです。
更に、1階と4階の床下には階段の開口部を塞ぐための水平引き戸も付けられています。
引き戸を引くと、階段がどこにあるのか分からないようになります。
1階で注目すべきは、40センチ角はあるだろう太い柱。
「包板矧合わせ(つつみいたはぎあわせ)」という柱で、真ん中の芯になる本柱の周りに板をかぶせ、その上を「かすがい」という金具で打ち付けたり、鉄の輪で巻いて太くしています。
太くて頑丈な柱にするための工夫ですね☆
因みに、創建時は、1階にはトイレと人質を閉じ込めておくための「人質蔵」があったそうですが、現在はその名残はありません。
2階・3階の階段の位置も創建時とは異なっているそうです。
藩主が変わるごとに天守内部も改装されていったことを物語っています。
壁が外部にせり出している部分には、石落としが見えます。石垣をよじ登った真上に位置します。
1層と2層の屋根の間を利用しているため、外部からは分かりづらくなっています。
2階には、建物に関係する展示物が沢山ありました。
こちらは、金具。築城当初に使用された瓦留や、午違蝶番などがあります。
鳥衾(とりふすま)という瓦。(写真上と写真下の上部棚)
鬼瓦の上に乗せる瓦で、五三桐の文様は築城当初のもの。
三つ葉葵の文様は、松平藩主の際のものです。
巴瓦(ともえがわら)。(写真の下段)
種類がとても豊富で様々な紋様の巴瓦が使用されていますが、こちらは、築城当初のものと思われる三つ巴紋の巴瓦。
平瓦。
いくつか平瓦の展示があったのですが、この平瓦には築城当時の堀尾家の使用した分銅紋の刻印があります。
この他、元禄に補修が行われた際に補充された瓦に、年代と職人の名前と思われる刻印が残されていました。
こちらは、鬼瓦。
各面がそれぞれ違う顔をしています。どの鬼瓦にも角が無いのが特徴です。
三階には、窓際の板壁に架けられた小さな階段がありました。
以前はその場所に武者隠しがあったとされていますが、現在は屋根に通じているようです。
なぜ屋根に通じているのかははっきりと分かっていません。
4階の西側中央には2つの小部屋が外に突き出した形であります。
向かって左にあるのが(上の写真)が箱便所というお殿様専用のトイレ。
写真では暗くて見づらいのですが、光が差し込んでいる部分が、鉄砲狭間です。
この場所は、大きな破風(はふ)の内側にあり、天守閣内から本丸にいる敵兵に向けての銃撃に最も有効な場所であったと考えられます。
それにしても、トイレから攻撃というのはこの時代でないと考えられないですね( ゚Д゚)
そしていよいよ天守閣の最上階「天狗の間」
四方を見渡すことのできるよう、壁が無い「望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)。
眺めがあまりに良いので、外ばかりを撮って、肝心の内部写真を撮り忘れました。。。
お城ならではの工夫が沢山見られて、とても楽しい探訪でした。
住居にそのままこの仕掛けは使用できませんが、その仕掛けの目的が一貫しているという点には見習うところもある気がします。
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