2016年01月28日
千利休ゆかりの茶室
こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
松江の歴史館の一角に、千利休ゆかりの茶室が復元されています。


三畳台目(さんじょうだいめ)のこの茶室は、松江で最も古いもので、安土桃山時代からの歴史があるそうです。
松江藩の家老を勤めた大橋茂衛門(おおはしもえもん)が京極忠高(きょうごくただたか)に召されて松江に移り住んだ際に屋敷に移築したもの。
大橋家に渡る以前には、千利休が門人、堀尾但馬(ほりおたじま)に譲ったという説や、福島正則が千利休の指導の下に建てたという説があります。
幕末まで大橋家にありましたが、明治5年に松江市宍道町の木幡家(こわた)に移築され、明治30年に解体され、同家に保管されていたものを復元したものが歴史館にあります。

貴人口から見た茶室内部。(正面)
草庵風茶室を特徴づける、台(大)目構えという茶室の造りで、千利休の晩年に多く見られる造りです。
極限まで余分なものを排除した茶室で、さらに客と亭主を区切るパーティションの役目をする中柱と下がり壁で構成されます。
奥に見える窓は、風炉先窓(ふろさきまど)と色紙窓(しきしまど)。
風炉先窓は、点前座(てまえざ)の明るさを確保しすると共に換気の役目を果たすために、点前畳の前方下部に取り付けられます。
色紙窓は、上下2段の窓で、その中心がずれているのが特徴。

貴人口から見た内部(左側)
手前に床の間。奥の白い襖部分が、茶道口。

内腰掛け。
亭主の案内を待つ間や中立(なかだち)という休憩中に客人が腰を掛けて待つ場所。
腰掛け周りには、役石。大きなものが正客用、その周りに一般客用の霰零し(あられこぼし)を敷いてあります。

手水鉢(ちょうずばち)。
茶室を聖域と考え、聖域に入る前の清めとして手水鉢が置かれるようになりました。

茶室外の露地(ろじ)部分にも、飛び石が配置されています。

↑こちらが茶室の裏にあたる部分。

写真上部にある棚が刀掛け。刀掛け横の壁には、福島正則が加藤清正を招いたときに清正の三尺に余る長刀が刀掛けに納まらず、やむなく開けたといわれる穴が開いています。
正面の窓は、風炉先窓として造られた下地窓。
下地窓は、千利休が荒れ果てて崩れかけた茅屋の壁を見て、茶室に取り入れることを思いついたという逸話があります。
土壁の土を敢えて塗り残した風情をだすのが下地窓の特徴。でも、実際には、塗り残すのではなく、下地の小舞とは別に皮付きの葭(よし)を組み合わせて造ります。

こちらは、躙口(にじりぐち)。
草庵風の茶室を特徴づける要素の一つで、屈んでようやく人が入れるだけの出入り口です。
表側が板戸、裏側は桟戸となっています。
あり合わせの雨戸を切り取って粗末に作ったことを表現する茶人独特の表現法の為、下枠は敷居から外れないように加工されるものの、上端は枠を取り付けないのが特徴です。

躙口の上には竹の連子子が打ち付けられた連子窓(れんじまど)
離宮の草庵風茶室に見られる意匠が随所に施されていた茶室でした。
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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
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お読みいただき、有難うございます。
松江の歴史館の一角に、千利休ゆかりの茶室が復元されています。
三畳台目(さんじょうだいめ)のこの茶室は、松江で最も古いもので、安土桃山時代からの歴史があるそうです。
松江藩の家老を勤めた大橋茂衛門(おおはしもえもん)が京極忠高(きょうごくただたか)に召されて松江に移り住んだ際に屋敷に移築したもの。
大橋家に渡る以前には、千利休が門人、堀尾但馬(ほりおたじま)に譲ったという説や、福島正則が千利休の指導の下に建てたという説があります。
幕末まで大橋家にありましたが、明治5年に松江市宍道町の木幡家(こわた)に移築され、明治30年に解体され、同家に保管されていたものを復元したものが歴史館にあります。
貴人口から見た茶室内部。(正面)
草庵風茶室を特徴づける、台(大)目構えという茶室の造りで、千利休の晩年に多く見られる造りです。
極限まで余分なものを排除した茶室で、さらに客と亭主を区切るパーティションの役目をする中柱と下がり壁で構成されます。
奥に見える窓は、風炉先窓(ふろさきまど)と色紙窓(しきしまど)。
風炉先窓は、点前座(てまえざ)の明るさを確保しすると共に換気の役目を果たすために、点前畳の前方下部に取り付けられます。
色紙窓は、上下2段の窓で、その中心がずれているのが特徴。
貴人口から見た内部(左側)
手前に床の間。奥の白い襖部分が、茶道口。
内腰掛け。
亭主の案内を待つ間や中立(なかだち)という休憩中に客人が腰を掛けて待つ場所。
腰掛け周りには、役石。大きなものが正客用、その周りに一般客用の霰零し(あられこぼし)を敷いてあります。
手水鉢(ちょうずばち)。
茶室を聖域と考え、聖域に入る前の清めとして手水鉢が置かれるようになりました。
茶室外の露地(ろじ)部分にも、飛び石が配置されています。
↑こちらが茶室の裏にあたる部分。
写真上部にある棚が刀掛け。刀掛け横の壁には、福島正則が加藤清正を招いたときに清正の三尺に余る長刀が刀掛けに納まらず、やむなく開けたといわれる穴が開いています。
正面の窓は、風炉先窓として造られた下地窓。
下地窓は、千利休が荒れ果てて崩れかけた茅屋の壁を見て、茶室に取り入れることを思いついたという逸話があります。
土壁の土を敢えて塗り残した風情をだすのが下地窓の特徴。でも、実際には、塗り残すのではなく、下地の小舞とは別に皮付きの葭(よし)を組み合わせて造ります。
こちらは、躙口(にじりぐち)。
草庵風の茶室を特徴づける要素の一つで、屈んでようやく人が入れるだけの出入り口です。
表側が板戸、裏側は桟戸となっています。
あり合わせの雨戸を切り取って粗末に作ったことを表現する茶人独特の表現法の為、下枠は敷居から外れないように加工されるものの、上端は枠を取り付けないのが特徴です。
躙口の上には竹の連子子が打ち付けられた連子窓(れんじまど)
離宮の草庵風茶室に見られる意匠が随所に施されていた茶室でした。
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