2016年02月09日
大阪城 千貫櫓(せんがんやぐら)
こんにちは☆
さぬき市の「古民家再生と築40年以上の木造専門」の
工事も頼める設計屋さん
谷野設計の学芸員・谷野友香です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今回は、大阪城の内部特別公開中の櫓の第二回目「千貫櫓(せんがんやぐら)」
大手門を北西部から守るための重要な役割を持った隅櫓(すみやぐら)です。大阪城再築初期に建てられた城内最古の建造物で、二層構造になっています。1620年創建で1961年(昭和36年)に解体修理されています。
千貫という名称は、石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐねた時に「千貫文だしても奪いたい」と言われたことに由来するそうです。
内部は、鉄砲狭間(てっぽうさま)や石落としなど正面入り口を守るための仕掛けがあります。

こちらは、建物の裏側に当たります。

現在、多聞櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)の間を繋ぐ渡り廊下を改修中です。

建物の北側から中に入ります。

建物に入ってすぐ左手の壁には、千貫櫓に使用されていた「懸魚(げぎょ)」が飾ってありました。
懸魚は、屋根の妻を飾るもので、水に縁のある魚を飾ることで火除けのまじないをしたことが始まりです。
千貫櫓には、西面2階屋根に唐破風(からはふ)があり、他の櫓と比べ格式が高かったことが屋根から分かります。

建物内部は、内室とそれを囲む武者走りという廊下からなっています。
内室は建具で4室に仕切られるようになっていて、全ての柱が等間隔に並んだ正方形となっています。


南面からは多聞櫓とを結ぶ渡り廊下の改修の様子が見えました。この日は、塀の瓦替えをしているところでした。


東南部分の内室には2階に上がる階段があります。
今回は2階へは上がれないようになっていたのが残念です。。

こちらは、階段のある内室の南にあたる武者走りの天井にある、荷揚げの為の開口部。
荷揚げの為の滑車が天井に取り付けられるようにしてありました。
この荷揚げ装置は、明治以降に作られた可能性があるそうです。
そういえば、昔の家には2階に荷揚げをするために滑車を用いた民家もありました。
今の家にもあると面白いなとふと考えたり…

西面から堀を眺めた様子。


堀に沿った西面、南面には、鉄砲狭間や石落としがあります。
狭間も石落としもケヤキを使用した木製で蓋を外すと開口が現れます。
この千貫櫓は江戸時代、大阪城守衛の最高責任者である大阪城代の管理下に置かれたそうです。
中で夕涼みをしたり、配下の役人たちに料理を振る舞ったりもされたとか。
それだけ、大阪城の櫓の中でも重要なものだったのですね☆
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
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今回は、大阪城の内部特別公開中の櫓の第二回目「千貫櫓(せんがんやぐら)」
大手門を北西部から守るための重要な役割を持った隅櫓(すみやぐら)です。大阪城再築初期に建てられた城内最古の建造物で、二層構造になっています。1620年創建で1961年(昭和36年)に解体修理されています。
千貫という名称は、石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐねた時に「千貫文だしても奪いたい」と言われたことに由来するそうです。
内部は、鉄砲狭間(てっぽうさま)や石落としなど正面入り口を守るための仕掛けがあります。
こちらは、建物の裏側に当たります。

現在、多聞櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)の間を繋ぐ渡り廊下を改修中です。
建物の北側から中に入ります。
建物に入ってすぐ左手の壁には、千貫櫓に使用されていた「懸魚(げぎょ)」が飾ってありました。
懸魚は、屋根の妻を飾るもので、水に縁のある魚を飾ることで火除けのまじないをしたことが始まりです。
千貫櫓には、西面2階屋根に唐破風(からはふ)があり、他の櫓と比べ格式が高かったことが屋根から分かります。
建物内部は、内室とそれを囲む武者走りという廊下からなっています。
内室は建具で4室に仕切られるようになっていて、全ての柱が等間隔に並んだ正方形となっています。
南面からは多聞櫓とを結ぶ渡り廊下の改修の様子が見えました。この日は、塀の瓦替えをしているところでした。
東南部分の内室には2階に上がる階段があります。
今回は2階へは上がれないようになっていたのが残念です。。
こちらは、階段のある内室の南にあたる武者走りの天井にある、荷揚げの為の開口部。
荷揚げの為の滑車が天井に取り付けられるようにしてありました。
この荷揚げ装置は、明治以降に作られた可能性があるそうです。
そういえば、昔の家には2階に荷揚げをするために滑車を用いた民家もありました。
今の家にもあると面白いなとふと考えたり…
西面から堀を眺めた様子。
堀に沿った西面、南面には、鉄砲狭間や石落としがあります。
狭間も石落としもケヤキを使用した木製で蓋を外すと開口が現れます。
この千貫櫓は江戸時代、大阪城守衛の最高責任者である大阪城代の管理下に置かれたそうです。
中で夕涼みをしたり、配下の役人たちに料理を振る舞ったりもされたとか。
それだけ、大阪城の櫓の中でも重要なものだったのですね☆
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Posted by 谷野設計 at 19:11│Comments(0)
│お城の探訪記