2016年06月07日
地蔵寺(さぬき市志度)の建物ごとに異なる屋根の留蓋瓦
こんにちは☆
谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
先日訪れたさぬき市志度の地蔵寺。

これまで、
をご紹介してきました☆
今回は、地蔵寺境内にある留蓋瓦(とめぶたかわら)をご紹介します☆

こちらは、本堂の留蓋瓦。
獅子の形をしています。
獅子の留蓋瓦には、魔よけの意味があります。
お寺には、様々な場所に阿吽(あうん)の阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)があります。
実は、この獅子にも、阿形と吽形があるんです。
上の写真の獅子は、阿形。本堂に向かって、右側の獅子です。

こちらが、本殿に向かって左側の吽形の獅子。
違いがどこにあるか分かりますか?
簡単に分かる見分け方は、阿形は口を開いていて、吽形は口を閉じています。
鎌倉時代中期までは、吽形は角を持っているものが一般的でしたが、次第に簡略化されて、角を持たない吽形が今では多くなりました。
写真では分かりづらいので、是非お寺に行かれたら、実際に見てみてください☆

こちらは、門にある桃の留蓋瓦。
桃の留蓋瓦については、以前特集しているので、そちらもご覧ください☆
桃の横に見えるのは、卍の入った経の巻(きょうのまき)鬼瓦。
経の巻というのは、五角形の上に3つの(5つもあります)巴瓦をのせてあり、その下に「へ」の字型に綾筋(あやすじ)という線が入っているのが特徴です。
元は平安時代に宮中で使用され、その後瓦屋根の普及と共に社寺に限って使用されていました。
(現在は、一般住宅でも使用されることもあります)
経の巻は、本堂の屋根・水屋の屋根にも見られます。
それぞれの経の巻を見比べても面白いですよ(*'ω'*)

こちらは、水屋の屋根にある立浪(たつなみ)の留蓋瓦です。
立浪は、水しぶきを連想させることから、防火の願いを込めて屋根に置かれるようになりました。
境内には、その建物ごとに意味を込めて、異なる留蓋が使用されています。
地蔵寺にご参拝されたら、屋根の上にも注目してみてください☆
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
谷野設計の谷野です(^^)
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先日訪れたさぬき市志度の地蔵寺。
これまで、
2016/06/01
2016/06/02
2016/06/03
2016/06/06
をご紹介してきました☆
今回は、地蔵寺境内にある留蓋瓦(とめぶたかわら)をご紹介します☆
こちらは、本堂の留蓋瓦。
獅子の形をしています。
獅子の留蓋瓦には、魔よけの意味があります。
お寺には、様々な場所に阿吽(あうん)の阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)があります。
実は、この獅子にも、阿形と吽形があるんです。
上の写真の獅子は、阿形。本堂に向かって、右側の獅子です。
こちらが、本殿に向かって左側の吽形の獅子。
違いがどこにあるか分かりますか?
簡単に分かる見分け方は、阿形は口を開いていて、吽形は口を閉じています。
鎌倉時代中期までは、吽形は角を持っているものが一般的でしたが、次第に簡略化されて、角を持たない吽形が今では多くなりました。
写真では分かりづらいので、是非お寺に行かれたら、実際に見てみてください☆
こちらは、門にある桃の留蓋瓦。
桃の留蓋瓦については、以前特集しているので、そちらもご覧ください☆
桃の横に見えるのは、卍の入った経の巻(きょうのまき)鬼瓦。
経の巻というのは、五角形の上に3つの(5つもあります)巴瓦をのせてあり、その下に「へ」の字型に綾筋(あやすじ)という線が入っているのが特徴です。
元は平安時代に宮中で使用され、その後瓦屋根の普及と共に社寺に限って使用されていました。
(現在は、一般住宅でも使用されることもあります)
経の巻は、本堂の屋根・水屋の屋根にも見られます。
それぞれの経の巻を見比べても面白いですよ(*'ω'*)
こちらは、水屋の屋根にある立浪(たつなみ)の留蓋瓦です。
立浪は、水しぶきを連想させることから、防火の願いを込めて屋根に置かれるようになりました。
境内には、その建物ごとに意味を込めて、異なる留蓋が使用されています。
地蔵寺にご参拝されたら、屋根の上にも注目してみてください☆
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2016年06月06日
地蔵寺(さぬき市志度)の夫婦伯と六十六尊像にまつわる不思議な話
こんにちは☆
谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
先日訪れ、若住職に沢山お話を伺ったさぬき市志度の「地蔵寺」。
前回は、地蔵寺にお祀りされている「六十六体尊像」と巡礼について書きました☆
今回は、地蔵寺の夫婦柏のご紹介と、柏の木と六十六体尊像にまつわる不思議なお話をご紹介します☆

地蔵寺の境内には、「夫婦伯(めおとはく)」と呼ばれる柏の木があります。
柏は、中国では吉兆の香木で、葉は四季を通じて緑色のため、松と共に節操の堅い樹木として親しまれています。
門を入って東側に大きな柏がありますが、もともとは西にもあり、その二本を対で「夫婦伯」という名称がつけられました。
(西側の柏の木があった場所には、説明書きがあります。看板には株のことが書かれていますが、現在は株も無くなっています)
寺伝では、この柏の木は、志度寺のご本尊で国の重要文化財の「十一面観音像」を彫刻した残り木から芽を出したとされています。
竜が天に昇るようにも見えることから「柏竜(はくりゅう)」「昇竜柏(しょうりゅうはく)」とも呼ばれます。
(地蔵寺若住職と柏の木)
この柏の木と、前回ご紹介した「六十六体尊像」にまつわる不思議なお話を若住職から伺いました。
「六十六体尊像」は現在は六十六体全てが地蔵寺に祀られていますが、12年前の平成16年までは一体少ない六十五体だったそうです。
12年前台風と高潮で、地蔵寺は床上浸水の被害にあいました。
海が近いため、海から魚が海水と共に流れ込み、境内を泳いでいるような状況だったそうです。
境内の木々は塩害の被害にあい、徐々に枯れてきます。
大きな柏の木も例外ではありませんでした。一生懸命に、塩を洗い流すため水をかけ続けたそうです。
その頃、姫路の方から、電話で相談が地蔵寺に寄せられました。
その方は、地蔵寺の境内にお墓のある人で、その方の家で長くお祀りをしている仏様があるのだが、もう年がより、
御守りすることが出来ず、引き取ってほしいとのことでした。
これも何かのご縁と、お話をお受けし、姫路に出向き、仏様を持って帰る運びとなりました。
その仏様は立派なお厨子に入った不動明王像であり、お祀りしている家の方も、出したことが無かったそうです。
一度拝み、お性根(魂)を抜き、運搬中に壊れないようにお厨子から出して仏像を寝かせた際、
台座裏に『讃州志度浦地蔵寺云々』という墨書きが見つかったのです。
この不動明王像が、六十六体の最後の一体だったんです!
後で調べると、およそ200年前に、その家のご先祖が地蔵寺で修行していたお弟子さんということが分かったそうです。
その家の方も全くご存知なかったこと。
若住職は、仏さまが呼んでくださったんだなと思われたそうです。
若住職のお話では、お弟子さんが修行を終えられた際に、六十六体のうちの一体を差し上げたのではないかということでした。
不動明王像が地蔵寺に来て後、再び荒れ模様が続きました。
いよいよ柏の木が枯れそうというときに、また浸水に見舞われました。
すると、どういうわけか柏の木が元気になったそうです。
なんと、この2度目の浸水は、川の氾濫による水で塩を洗い流してくれたようです。
不動明王は力強く、正しい方向に導くというような力があることから、これも不動明王の功徳だろうと仰っていました。
この不動明王像は、本堂の壁の西面・一番左手に祀られています。
*全国でも貴重な六十六体尊像は、(若住職がご不在のこともありますので)事前に連絡されると拝観させていただけます。
百聞は一見に如かず。是非、直接地蔵寺でご拝観ください☆
地蔵寺(さぬき市志度545)
☎087-894-1196
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
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お読みいただき、有難うございます。
先日訪れ、若住職に沢山お話を伺ったさぬき市志度の「地蔵寺」。
前回は、地蔵寺にお祀りされている「六十六体尊像」と巡礼について書きました☆
今回は、地蔵寺の夫婦柏のご紹介と、柏の木と六十六体尊像にまつわる不思議なお話をご紹介します☆
地蔵寺の境内には、「夫婦伯(めおとはく)」と呼ばれる柏の木があります。
柏は、中国では吉兆の香木で、葉は四季を通じて緑色のため、松と共に節操の堅い樹木として親しまれています。
門を入って東側に大きな柏がありますが、もともとは西にもあり、その二本を対で「夫婦伯」という名称がつけられました。
寺伝では、この柏の木は、志度寺のご本尊で国の重要文化財の「十一面観音像」を彫刻した残り木から芽を出したとされています。
竜が天に昇るようにも見えることから「柏竜(はくりゅう)」「昇竜柏(しょうりゅうはく)」とも呼ばれます。
この柏の木と、前回ご紹介した「六十六体尊像」にまつわる不思議なお話を若住職から伺いました。
「六十六体尊像」は現在は六十六体全てが地蔵寺に祀られていますが、12年前の平成16年までは一体少ない六十五体だったそうです。
12年前台風と高潮で、地蔵寺は床上浸水の被害にあいました。
海が近いため、海から魚が海水と共に流れ込み、境内を泳いでいるような状況だったそうです。
境内の木々は塩害の被害にあい、徐々に枯れてきます。
大きな柏の木も例外ではありませんでした。一生懸命に、塩を洗い流すため水をかけ続けたそうです。
その頃、姫路の方から、電話で相談が地蔵寺に寄せられました。
その方は、地蔵寺の境内にお墓のある人で、その方の家で長くお祀りをしている仏様があるのだが、もう年がより、
御守りすることが出来ず、引き取ってほしいとのことでした。
これも何かのご縁と、お話をお受けし、姫路に出向き、仏様を持って帰る運びとなりました。
その仏様は立派なお厨子に入った不動明王像であり、お祀りしている家の方も、出したことが無かったそうです。
一度拝み、お性根(魂)を抜き、運搬中に壊れないようにお厨子から出して仏像を寝かせた際、
台座裏に『讃州志度浦地蔵寺云々』という墨書きが見つかったのです。
この不動明王像が、六十六体の最後の一体だったんです!
後で調べると、およそ200年前に、その家のご先祖が地蔵寺で修行していたお弟子さんということが分かったそうです。
その家の方も全くご存知なかったこと。
若住職は、仏さまが呼んでくださったんだなと思われたそうです。
若住職のお話では、お弟子さんが修行を終えられた際に、六十六体のうちの一体を差し上げたのではないかということでした。
不動明王像が地蔵寺に来て後、再び荒れ模様が続きました。
いよいよ柏の木が枯れそうというときに、また浸水に見舞われました。
すると、どういうわけか柏の木が元気になったそうです。
なんと、この2度目の浸水は、川の氾濫による水で塩を洗い流してくれたようです。
不動明王は力強く、正しい方向に導くというような力があることから、これも不動明王の功徳だろうと仰っていました。
この不動明王像は、本堂の壁の西面・一番左手に祀られています。
*全国でも貴重な六十六体尊像は、(若住職がご不在のこともありますので)事前に連絡されると拝観させていただけます。
百聞は一見に如かず。是非、直接地蔵寺でご拝観ください☆
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2016年06月03日
地蔵寺(さぬき市志度)の六十六体尊像-巡礼の原点
こんにちは☆
谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
先日訪れ、若住職に沢山お話を伺ったさぬき市志度の「地蔵寺」。
前回は、地蔵寺と志度寺の関係について書きました☆
今回は、地蔵寺にお祀りされている「六十六体尊像」と巡礼について☆
地蔵寺の成り立ちには古い歴史がありますが、
現在の形になったのは幾度かの戦火を経て、享保14年(1729年)に中興の祖・密英(みつえい)が本堂を再建してからです。
密英は、本堂の建立にあわせ「日本廻国六十六体尊」を開眼しました。
下の写真は、本堂内部の様子。
若住職のご厚意で、特別に撮影させていただきました。
正面のご本尊を囲むように左右の壁面と正面奥に六十六体尊像が祀られています。

鎌倉時代から中世にかけて、日本は六十六の国(北は陸奥・出羽から南は薩摩・大隈まで)で成っていました。
その日本全国六十六か国を巡る日本一長い巡礼があったそうです。
この巡礼は、全国の有名な神社・仏閣のご本尊を拝むこと以上に、その国を拝むことに意義があったそう。
四国八十八か所霊場や、西国三十三観音霊場など、有名な霊場巡りの原点になったと考えられているのが、この「日本廻国霊場」です。
しかも、その廻国六十六体のご本尊を一堂にお祀りしているのは、全国で2か所しかなく、
そのうちの一つが、こちらの地蔵寺なんです!
地蔵寺の再建に貢献した密英自身も、六十六体尊像の造立より20年も前に廻国修行をしていたことが、
平成24年に地蔵寺宝蔵庫より発見された納経帳で分かっています。

(写真:香川県立ミュージアムの地蔵寺調査より)
六十六体の像は、寄木造りで、像によって金箔仕上げや彩色仕上げなどの違いはありますが、
どのご尊像も、素朴な温かみがありました。
馬に乗った将軍地蔵や、聖徳太子坐像など、○○菩薩といった以外の像もあって興味深かったです。
*全国でも貴重な六十六体尊像は、(若住職がご不在のこともありますので)事前に連絡されると拝観させていただけます。
百聞は一見に如かず。是非、直接地蔵寺でご拝観ください☆
地蔵寺(さぬき市志度545)
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次回は、地蔵寺の夫婦柏のご紹介と、柏の木と六十六体尊像にまつわる不思議なお話をご紹介します☆
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先日訪れ、若住職に沢山お話を伺ったさぬき市志度の「地蔵寺」。
前回は、地蔵寺と志度寺の関係について書きました☆
今回は、地蔵寺にお祀りされている「六十六体尊像」と巡礼について☆
地蔵寺の成り立ちには古い歴史がありますが、
現在の形になったのは幾度かの戦火を経て、享保14年(1729年)に中興の祖・密英(みつえい)が本堂を再建してからです。
密英は、本堂の建立にあわせ「日本廻国六十六体尊」を開眼しました。
下の写真は、本堂内部の様子。
若住職のご厚意で、特別に撮影させていただきました。
正面のご本尊を囲むように左右の壁面と正面奥に六十六体尊像が祀られています。
鎌倉時代から中世にかけて、日本は六十六の国(北は陸奥・出羽から南は薩摩・大隈まで)で成っていました。
その日本全国六十六か国を巡る日本一長い巡礼があったそうです。
この巡礼は、全国の有名な神社・仏閣のご本尊を拝むこと以上に、その国を拝むことに意義があったそう。
四国八十八か所霊場や、西国三十三観音霊場など、有名な霊場巡りの原点になったと考えられているのが、この「日本廻国霊場」です。
しかも、その廻国六十六体のご本尊を一堂にお祀りしているのは、全国で2か所しかなく、
そのうちの一つが、こちらの地蔵寺なんです!
地蔵寺の再建に貢献した密英自身も、六十六体尊像の造立より20年も前に廻国修行をしていたことが、
平成24年に地蔵寺宝蔵庫より発見された納経帳で分かっています。
(写真:香川県立ミュージアムの地蔵寺調査より)
六十六体の像は、寄木造りで、像によって金箔仕上げや彩色仕上げなどの違いはありますが、
どのご尊像も、素朴な温かみがありました。
馬に乗った将軍地蔵や、聖徳太子坐像など、○○菩薩といった以外の像もあって興味深かったです。
*全国でも貴重な六十六体尊像は、(若住職がご不在のこともありますので)事前に連絡されると拝観させていただけます。
百聞は一見に如かず。是非、直接地蔵寺でご拝観ください☆
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次回は、地蔵寺の夫婦柏のご紹介と、柏の木と六十六体尊像にまつわる不思議なお話をご紹介します☆
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2016年06月02日
地蔵寺(さぬき市志度)は志度寺の奥之院
こんにちは☆
谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
先日訪れ、若住職に沢山お話を伺ったさぬき市志度の「地蔵寺」。
前回は、地蔵寺の別名:「魚霊堂」とその由来について書きました。
今回は、地蔵寺と八十六番札所の志度寺との関係について。
如意山(にょいざん)文殊院(もんじゅいん)地蔵寺は、もと真言宗御室派に属し(現在は真言宗善通寺派です)、
四国八十六番札所の志度寺の奥之院です。

奥之院ってどういうことだろうと伺ってみると、
奥之院というのは、地理的なものや、出来る基となるものなど、お寺によってその位置づけが異なるそうですが、
地蔵寺の場合、志度寺の本尊を開眼し、創建した「薗子尼(そのこあま)」が地蔵寺の開祖という所縁があるとのこと。

〔パンフレットより薗子尼像〕
地蔵寺のご本尊は文殊菩薩ですが、開祖である薗子尼は文殊菩薩の化身とされています。
往古は、薗子尼が住んでいたことから「薗子屋敷」、「文殊屋敷」とも呼ばれていたそうです。
歴史の上では志度寺よりも古く、志度で最も古いお寺です。
八十八か所巡礼で志度寺に行かれる方は、是非開基由縁の「地蔵寺」にも足を運んでみてください。
次回、ご紹介しますが、地蔵寺は日本最古の霊場巡りにも関係しているんです☆
次回は、日本廻国六十六体尊と地蔵寺について、ご紹介します☆
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先日訪れ、若住職に沢山お話を伺ったさぬき市志度の「地蔵寺」。
前回は、地蔵寺の別名:「魚霊堂」とその由来について書きました。
今回は、地蔵寺と八十六番札所の志度寺との関係について。
如意山(にょいざん)文殊院(もんじゅいん)地蔵寺は、もと真言宗御室派に属し(現在は真言宗善通寺派です)、
四国八十六番札所の志度寺の奥之院です。
奥之院ってどういうことだろうと伺ってみると、
奥之院というのは、地理的なものや、出来る基となるものなど、お寺によってその位置づけが異なるそうですが、
地蔵寺の場合、志度寺の本尊を開眼し、創建した「薗子尼(そのこあま)」が地蔵寺の開祖という所縁があるとのこと。

〔パンフレットより薗子尼像〕
地蔵寺のご本尊は文殊菩薩ですが、開祖である薗子尼は文殊菩薩の化身とされています。
往古は、薗子尼が住んでいたことから「薗子屋敷」、「文殊屋敷」とも呼ばれていたそうです。
歴史の上では志度寺よりも古く、志度で最も古いお寺です。
八十八か所巡礼で志度寺に行かれる方は、是非開基由縁の「地蔵寺」にも足を運んでみてください。
次回、ご紹介しますが、地蔵寺は日本最古の霊場巡りにも関係しているんです☆
次回は、日本廻国六十六体尊と地蔵寺について、ご紹介します☆
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㈲谷野設計
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2016年06月01日
地蔵寺(さぬき市志度)-別名:魚霊堂(うおのみどう)の由来
こんにちは☆
谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
本日は、さぬき市志度町の「地蔵寺」にお邪魔しました。
お忙しい中、若住職がお時間を取ってくださって、お寺の歴史や逸話など資料を交えて説明してくださり、
とても有意義な探訪になりました☆
今回は、伺った沢山のお話から、お寺になる前のお堂の成り立ちについて書きたいと思います。

地蔵寺(如意山文殊院地蔵寺)は、四国八十六番札所・志度寺の奥之院で、ご本尊は文殊菩薩です。
こちらのお寺は、とても歴史が古く、お堂の誕生は仏教伝来以前にまで遡ります。
地蔵寺には、「魚霊堂(うおのみどう)」という別名があります。

景行天皇の時代(大和時代)、土佐の海に住んでいた大魚が暴れ、航行する船や人が襲われていました。
それに頭を悩ませた天皇が、お子様の日本武尊(やまとたけるのみこと)を呼び、悪魚退治を頼みました。
尊は、霊子(れいし)という武勇に優れた子に、この悪魚退治を命じ、悪魚が逃げ込んだ志度浦で見事退治しました。
しかし、祟りを恐れた里人たちが、お堂を建て、地蔵を祀ったことが地蔵堂(魚霊堂)の始まりとされているそうです。
(上の写真は、客殿の玄関にある伝説にちなんだ板木)
因みに、この辺りの地名を「江の口」というのですが、「えの魚(悪魚)」の口を葬ったところ」に由来するそうです。

こちらが、その地蔵堂です。
現在の地蔵堂は、約20年前に再建されたお堂です。(再建時には、水害の為床を上げる改修が行われています)
正方形の形で、方形屋根。
屋根の先端には、大きな如意宝珠が乗っています。
次回は、地蔵寺と志度寺の関係について書きたいと思います。
************************
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本日は、さぬき市志度町の「地蔵寺」にお邪魔しました。
お忙しい中、若住職がお時間を取ってくださって、お寺の歴史や逸話など資料を交えて説明してくださり、
とても有意義な探訪になりました☆
今回は、伺った沢山のお話から、お寺になる前のお堂の成り立ちについて書きたいと思います。
地蔵寺(如意山文殊院地蔵寺)は、四国八十六番札所・志度寺の奥之院で、ご本尊は文殊菩薩です。
こちらのお寺は、とても歴史が古く、お堂の誕生は仏教伝来以前にまで遡ります。
地蔵寺には、「魚霊堂(うおのみどう)」という別名があります。
景行天皇の時代(大和時代)、土佐の海に住んでいた大魚が暴れ、航行する船や人が襲われていました。
それに頭を悩ませた天皇が、お子様の日本武尊(やまとたけるのみこと)を呼び、悪魚退治を頼みました。
尊は、霊子(れいし)という武勇に優れた子に、この悪魚退治を命じ、悪魚が逃げ込んだ志度浦で見事退治しました。
しかし、祟りを恐れた里人たちが、お堂を建て、地蔵を祀ったことが地蔵堂(魚霊堂)の始まりとされているそうです。
(上の写真は、客殿の玄関にある伝説にちなんだ板木)
因みに、この辺りの地名を「江の口」というのですが、「えの魚(悪魚)」の口を葬ったところ」に由来するそうです。
こちらが、その地蔵堂です。
現在の地蔵堂は、約20年前に再建されたお堂です。(再建時には、水害の為床を上げる改修が行われています)
正方形の形で、方形屋根。
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