2016年11月12日
戦国時代好き、城好きには必見!石垣職人・穴太衆(あのうしゅう)のこと。 熊本城の復興応援
こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
昨年の11月の記事を見返していたら、日光東照宮の記事に、穴太衆(あのうしゅう)のことをチラっと書いていました。
穴太衆の技術を継承している石工職人について後日改めて書こうと思っていて、すっかり忘れてしまっていました(;´∀`)
これは、書かなくては!!
何故って、今その石工職人たちが築いた石垣が熊本復興の希望のシンボルだからです。
熊本城は、みなさんご存知の通り、先の大地震によって甚大な被害を受けました。
その一方で古建築の地震に対する能力が改めて認識されもしました。
ニュースで報道された、櫓を角の一本の石垣が支えている映像は、強烈な印象に残りました。
この石垣を築いたのが、穴太衆です。(熊本城の石垣は、何度か改修されています。今回、大きく崩れた部分は、明治時代に積み直された穴太衆が積んでいない部分だけがごっそり崩れたようです。)

熊本城の築城の際は、穴太衆(あのうしゅう)が石垣を築いています。
その石垣の復興を、その末裔である平成の穴太衆(あのうしゅう)が担当するのではないかと期待が膨らんだのですが、
修復に長い年月がかかることで、叶わなかったようです。。
その平成の穴太衆は、「第十五代穴太衆頭」の粟田純徳氏が代表を務める粟田建設。
熊本城の石垣復興に関しても、技術説明会を開いたりと尽力されていらっしゃいました。
穴太衆頭というのは、徳川幕府が穴太積を継承する技術者として与えた地位です。
穴太衆(あのうしゅう)って何?というと
ざっくりいうと、石垣を築く高い技術を持った石工職人の集団です。
その技術は、織田信長が比叡山に攻め入った際に穴太衆の造った穴太積(あのうづみ)に感銘を受け、
天正4年の安土城築城の際、穴太衆を動員して石垣構築を行いました。
それ以後、豊臣秀吉、徳川家康など天下取りを目指す名だたる武将に召し抱えられるようになりました。


上の写真は、豊臣時代の大阪城の石垣発掘調査を見に行った時の写真です。(あ(+_+)これも、詳しく載せ忘れている(-_-;) )
分かっているだけで、江戸城、駿河城、名古屋城、伊賀上野城、篠山城、大阪城、二条城、広島城、高知城、熊本城、金沢城、彦根城 竹田城 津山城
名城の石垣に穴太衆の技術が使われています。
日光東照宮にも!こちらの記事に書いています。
何故、戦国時代にこれだけ評価されたかというと、ズバリ、よじ登れないから。
敵が攻めてくるときに、足を掛ける場所が無いように、積まれているからです。
しかも、割石を使わずに、天然の石をそのまま使うところが特徴です。
因みに、穴太衆の起源は、古墳時代後期にまで遡ります。
横穴式古墳の石室づくりで習得された技術が、口伝によって長く継承されているとされています。
ずっと昔からの技術を継承し続けている穴太衆は、私にとってヒーローのような存在です。
沢山の方に、その存在を知ってもらえたらいいなと思っています。
熊本城の復興工事についてですが、復興城主の取り組みが行われています。
熊本の復興に少しでも力になれればと、参加させていただいています。
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
香川県さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
昨年の11月の記事を見返していたら、日光東照宮の記事に、穴太衆(あのうしゅう)のことをチラっと書いていました。
穴太衆の技術を継承している石工職人について後日改めて書こうと思っていて、すっかり忘れてしまっていました(;´∀`)
2015/11/18
これは、書かなくては!!
何故って、今その石工職人たちが築いた石垣が熊本復興の希望のシンボルだからです。
熊本城は、みなさんご存知の通り、先の大地震によって甚大な被害を受けました。
その一方で古建築の地震に対する能力が改めて認識されもしました。
ニュースで報道された、櫓を角の一本の石垣が支えている映像は、強烈な印象に残りました。
この石垣を築いたのが、穴太衆です。(熊本城の石垣は、何度か改修されています。今回、大きく崩れた部分は、明治時代に積み直された穴太衆が積んでいない部分だけがごっそり崩れたようです。)
熊本城の築城の際は、穴太衆(あのうしゅう)が石垣を築いています。
その石垣の復興を、その末裔である平成の穴太衆(あのうしゅう)が担当するのではないかと期待が膨らんだのですが、
修復に長い年月がかかることで、叶わなかったようです。。
その平成の穴太衆は、「第十五代穴太衆頭」の粟田純徳氏が代表を務める粟田建設。
熊本城の石垣復興に関しても、技術説明会を開いたりと尽力されていらっしゃいました。
穴太衆頭というのは、徳川幕府が穴太積を継承する技術者として与えた地位です。
穴太衆(あのうしゅう)って何?というと
ざっくりいうと、石垣を築く高い技術を持った石工職人の集団です。
その技術は、織田信長が比叡山に攻め入った際に穴太衆の造った穴太積(あのうづみ)に感銘を受け、
天正4年の安土城築城の際、穴太衆を動員して石垣構築を行いました。
それ以後、豊臣秀吉、徳川家康など天下取りを目指す名だたる武将に召し抱えられるようになりました。
上の写真は、豊臣時代の大阪城の石垣発掘調査を見に行った時の写真です。(あ(+_+)これも、詳しく載せ忘れている(-_-;) )
分かっているだけで、江戸城、駿河城、名古屋城、伊賀上野城、篠山城、大阪城、二条城、広島城、高知城、熊本城、金沢城、彦根城 竹田城 津山城
名城の石垣に穴太衆の技術が使われています。
日光東照宮にも!こちらの記事に書いています。
何故、戦国時代にこれだけ評価されたかというと、ズバリ、よじ登れないから。
敵が攻めてくるときに、足を掛ける場所が無いように、積まれているからです。
しかも、割石を使わずに、天然の石をそのまま使うところが特徴です。
因みに、穴太衆の起源は、古墳時代後期にまで遡ります。
横穴式古墳の石室づくりで習得された技術が、口伝によって長く継承されているとされています。
ずっと昔からの技術を継承し続けている穴太衆は、私にとってヒーローのような存在です。
沢山の方に、その存在を知ってもらえたらいいなと思っています。
熊本城の復興工事についてですが、復興城主の取り組みが行われています。
熊本の復興に少しでも力になれればと、参加させていただいています。
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
香川県さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
Posted by 谷野設計 at 19:02│Comments(0)
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