2018年09月06日
古代の瓦のオンパレード☆瓦の文様の歴史
こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
大型台風また、地震により、被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。
立て続けに色んな災害が全国で起きていて、なんとも言えない不安感がありますね。
いざという時に、どう動くかを色んな場合を想定して考えておかないとと思います。
被害にあわれた方が、一日も早く心の平穏を取り戻せますように。
前回の記事では、お寺の扇の骨組みのような屋根の木をご紹介しました。
今日は、大阪1日観光×探訪の際に、私が見たかった瓦をご紹介(*´ω`*)
前置きですが、都と聞くと、「平城京」や「平安京」と思い浮かぶ方が多いと思いますが、飛鳥~奈良時代には他にも都となった場所がありました。
小学校の時に、語呂合わせで年号を覚えた645年の「大化の改新」
この大化の改新後、チョコチョコと都が変わっています。
その都がチョコチョコ変わったよ~の中でも、大阪の難波宮(なにわのみや)は2度都になっています☆
1度目を前期難波宮
2度目を後期難波宮
と区別して呼ばれます。
因みに、大阪なんばにあるかと思いきや、大阪城の直ぐ近く、歴史博物館から見える場所に位置しています。

(歴史博物館から見た難波宮跡地)
平城京の跡地探訪の記事中で、奈良時代の瓦造りの発達について書いていますが、
お寺以外に瓦屋根が取り入れられるようになったのは、藤原宮以降です。
そして、前期難波宮は藤原宮より古いので、屋根は瓦葺きではありません。
後期難波宮は、瓦葺きなのです☆
難波宮は、前期と後期の間で目まぐるしい建物の発展があり、そのことを遺構がはっきりと示しているんです\(^o^)/
前期と後期で見比べられる遺構なんて、そうそうあるものじゃないので、それだけでワクワクしますね(´▽`*)♪
あ、また瓦の話から逸れてしまいそうなので、ざっくり説明すると、
前期では、掘立柱(ズボッと地面に柱を立てる)&植物性屋根
後期では、礎石に柱を立てる&瓦屋根
では、本題の瓦です\(^o^)/
難波宮で使われた瓦の文様は、藤原宮で使われた紋様と同じ。
「複弁蓮華文(ふくべんれんげもん)と言います。
平城京跡地の記事でご紹介した瓦文様と同じですね☆


奈良時代を通して、複弁蓮華文は主流な文様です。
そしてもう一つの紋様、
丸の中に丸、その中に丸・・・
と丸を重ねた紋様。
「重圏文(じゅうけんもん)」と言います。

お寺以外の建物に使われるようになった時には、「複弁蓮華文(ふくべんれんげもん)」が既に文様としてありました。
それでは、その前は~?というと、
一番古い瓦は、「瓦の文様に秘められたおまじない」という記事の中で、最古の鬼瓦をご紹介していますが、
「素弁蓮華文(そべんれんげもん)」です。

朝鮮半島の百済(くだら)から瓦の専門家を呼び寄せて瓦造りの技術は日本に輸入されました。
素弁蓮華文は、百済の瓦ととてもよく似ています。
素弁蓮華文に子葉が重ねられ、より立体的に、より花っぽくなったものが
「単弁蓮華文(たんべんれんげもん)」です。

(大阪市泉南市役所HPより)
この日の夕方訪れた大阪市天王寺でも、単弁蓮華文を沢山見ることが出来ました。
因みに、四天王寺の創建時は素弁蓮華文が使われていて、百済との深いかかわりが瓦以外にもあります。
それはまた、別記事でご紹介しますね☆

寺院に限られていた瓦が、宮殿建築に用いられて以降、瓦は面白い発展の仕方をします☆
お寺と宮殿、それぞれの瓦を造る組織が分かれ、瓦を造る地域も広がっていきます。
その為、瓦の文様は多様なものへとなっていきます。
外国からもたらされた技術が、日本独自の発展を遂げ、日本の屋根材の代表格になっていったんですね☆
その発展の分岐点を感じることの出来た探訪は、とっても楽しかったです(´艸`*)
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
大型台風また、地震により、被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。
立て続けに色んな災害が全国で起きていて、なんとも言えない不安感がありますね。
いざという時に、どう動くかを色んな場合を想定して考えておかないとと思います。
被害にあわれた方が、一日も早く心の平穏を取り戻せますように。
前回の記事では、お寺の扇の骨組みのような屋根の木をご紹介しました。
今日は、大阪1日観光×探訪の際に、私が見たかった瓦をご紹介(*´ω`*)
前置きですが、都と聞くと、「平城京」や「平安京」と思い浮かぶ方が多いと思いますが、飛鳥~奈良時代には他にも都となった場所がありました。
小学校の時に、語呂合わせで年号を覚えた645年の「大化の改新」
この大化の改新後、チョコチョコと都が変わっています。
その都がチョコチョコ変わったよ~の中でも、大阪の難波宮(なにわのみや)は2度都になっています☆
1度目を前期難波宮
2度目を後期難波宮
と区別して呼ばれます。
因みに、大阪なんばにあるかと思いきや、大阪城の直ぐ近く、歴史博物館から見える場所に位置しています。
(歴史博物館から見た難波宮跡地)
平城京の跡地探訪の記事中で、奈良時代の瓦造りの発達について書いていますが、
お寺以外に瓦屋根が取り入れられるようになったのは、藤原宮以降です。
そして、前期難波宮は藤原宮より古いので、屋根は瓦葺きではありません。
後期難波宮は、瓦葺きなのです☆
難波宮は、前期と後期の間で目まぐるしい建物の発展があり、そのことを遺構がはっきりと示しているんです\(^o^)/
前期と後期で見比べられる遺構なんて、そうそうあるものじゃないので、それだけでワクワクしますね(´▽`*)♪
あ、また瓦の話から逸れてしまいそうなので、ざっくり説明すると、
前期では、掘立柱(ズボッと地面に柱を立てる)&植物性屋根
後期では、礎石に柱を立てる&瓦屋根
では、本題の瓦です\(^o^)/
難波宮で使われた瓦の文様は、藤原宮で使われた紋様と同じ。
「複弁蓮華文(ふくべんれんげもん)と言います。
平城京跡地の記事でご紹介した瓦文様と同じですね☆
奈良時代を通して、複弁蓮華文は主流な文様です。
そしてもう一つの紋様、
丸の中に丸、その中に丸・・・
と丸を重ねた紋様。
「重圏文(じゅうけんもん)」と言います。

お寺以外の建物に使われるようになった時には、「複弁蓮華文(ふくべんれんげもん)」が既に文様としてありました。
それでは、その前は~?というと、
一番古い瓦は、「瓦の文様に秘められたおまじない」という記事の中で、最古の鬼瓦をご紹介していますが、
「素弁蓮華文(そべんれんげもん)」です。

朝鮮半島の百済(くだら)から瓦の専門家を呼び寄せて瓦造りの技術は日本に輸入されました。
素弁蓮華文は、百済の瓦ととてもよく似ています。
素弁蓮華文に子葉が重ねられ、より立体的に、より花っぽくなったものが
「単弁蓮華文(たんべんれんげもん)」です。

(大阪市泉南市役所HPより)
この日の夕方訪れた大阪市天王寺でも、単弁蓮華文を沢山見ることが出来ました。
因みに、四天王寺の創建時は素弁蓮華文が使われていて、百済との深いかかわりが瓦以外にもあります。
それはまた、別記事でご紹介しますね☆
寺院に限られていた瓦が、宮殿建築に用いられて以降、瓦は面白い発展の仕方をします☆
お寺と宮殿、それぞれの瓦を造る組織が分かれ、瓦を造る地域も広がっていきます。
その為、瓦の文様は多様なものへとなっていきます。
外国からもたらされた技術が、日本独自の発展を遂げ、日本の屋根材の代表格になっていったんですね☆
その発展の分岐点を感じることの出来た探訪は、とっても楽しかったです(´艸`*)
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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
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