2017年02月16日
リラックス蛙と、直立の起立蛙と、畏まり蛙―三種三様の蛙たち(善楽寺探訪2)
こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今日は、さぬき市大川町の『善楽寺(ぜんらくじ)』を引き続きご紹介します。
善楽寺は、真宗興正派のお寺。
大川町富田の地区(昔は富田郷と呼んだ)の真宗では一番古いお寺です。
ご住職のお話によると、開基は、室町時代の終わり頃(享禄3年)。約500年弱前だそうです。
現在の本堂は、明和元年(1764年)に建立された建物で、今年でちょうど253年!!
昨日は、善楽寺の屋根や瓦などをご紹介しました☆

今日は、本堂の向拝部分の3つの蟇股をご紹介します。
蟇股は、奈良時代から存在して、時代を経るにしたがって、装飾が多様になり、形も変化しているので時代を読み解くのにも使われます。
善楽寺さんで見た、3つの蟇股、とっても面白いんです(*‘ω‘ *)♪
本堂正面の虹梁の中央にある蟇股↓

蟇股の脚の部分(カエルが足を広げていると思って見てください。左右にぴろ~んと伸びている部分が、蟇股の脚と呼ばれる部分です)が、
横に広がって伸びています。だいぶリラックスした状態のカエルさん。
このリラックス蛙の脚の形は、室町時代以降に出てきて、江戸時代中期以降に多く見られます。
脚の上部の耳のように外にピョンと出ている部分は、「肩」と呼ばれます。肩の部分と、脚の先は雲の紋様。
脚の内部は、シンプルな透かし彫りです。
そして、上の蟇股の両サイドにある蟇股がこちら↓

キタ━(゚∀゚)━!
この蟇股を見た瞬間、私の興奮度が急上昇☆
この蟇股の形状、元祖蟇股の形状から蟇股への偏移を彷彿とさせるものなんです!
蟇股は、そもそも上下の水平な木材を斗と一体となって支える為の構造材だったんです。
その元祖蟇股は、「人字形割束」という文字通り、『人」の字の形をした束と思われます。
(別の見解もあるので、あくまで私の見解です。)
ここからは、ちょっと分かりづらいので、お粗末ながらスケッチで。

一番左のものが、人字形割束です。
法隆寺金堂の高欄部分に見られます。法隆寺では、高欄以外の部分に一番右の蟇股も見られます。
法隆寺が火災にあった後、奈良時代初期に再建された際の影響だと思います。
中央のものは、束と併用された蟇股で、とても珍しいもの。唐招提寺の講堂に見られます。
そして、奈良時代一般的だったのが、一番右の初期蟇股です。
この頃は、まだ構造材としての役割が大きかった蟇股は、装飾性が乏しく、カエルっぽくありません。
平安時代後期になると、カエルに似た形になってきます。
・・・いっぱい、話がそれてしまう(;´∀`)
善楽寺さんの蟇股、この人字形割束に似てませんか?!
人字形割束とは、構成が違うのですが、蟇股と束の中間のような形状。
そして、装飾も抑えたシンプルな形。
そしてそして、リラックス蛙と真反対の、起立!状態の脚☆
時代的に見ると、善楽寺さんの創建時の蟇股の発展の逆を行ってる感じなんです。
なんと!面白い!!
そして、もう一つの蟇股↓

この蟇股は、向拝の柱と本殿の柱の間の虹梁部分です。(さっきの虹梁と直角の位置にあるもの)
こちらの蟇股は、畏まってる脚。
最初にご紹介した蟇股に比べて、脚の広がりが少ないですね。
これは、江戸初期までの蟇股に多い形で、室町時代に多く見られます。
こちらも蟇股も彫刻がシンプル☆
ちなみに、写真を見返していて気づいたんですが、この写真で左右の位置にある肘木も面白い特徴が!
写真左手の肘木は、和様の特徴が見られるんですが、左側は、禅宗様の特徴が見られるんです。
お寺が建立された明和元年は、江戸時代後期に当たりますが、こちらのお寺は、その頃の蟇股に比べてかなり古い蟇股の手法を取り入れていました。
大工さんが、かなりの旧建築オタクだったんでしょうか。
それとも、他で使われていた旧建築の材を転用して作ったのでしょうか。
ムムム、かなり面白い歴史物語がありそうな建物です☆
次回は、本堂内部をレポートします(*'ω'*)
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今日は、さぬき市大川町の『善楽寺(ぜんらくじ)』を引き続きご紹介します。
善楽寺は、真宗興正派のお寺。
大川町富田の地区(昔は富田郷と呼んだ)の真宗では一番古いお寺です。
ご住職のお話によると、開基は、室町時代の終わり頃(享禄3年)。約500年弱前だそうです。
現在の本堂は、明和元年(1764年)に建立された建物で、今年でちょうど253年!!
昨日は、善楽寺の屋根や瓦などをご紹介しました☆
今日は、本堂の向拝部分の3つの蟇股をご紹介します。
蟇股は、奈良時代から存在して、時代を経るにしたがって、装飾が多様になり、形も変化しているので時代を読み解くのにも使われます。
善楽寺さんで見た、3つの蟇股、とっても面白いんです(*‘ω‘ *)♪
本堂正面の虹梁の中央にある蟇股↓
蟇股の脚の部分(カエルが足を広げていると思って見てください。左右にぴろ~んと伸びている部分が、蟇股の脚と呼ばれる部分です)が、
横に広がって伸びています。だいぶリラックスした状態のカエルさん。
このリラックス蛙の脚の形は、室町時代以降に出てきて、江戸時代中期以降に多く見られます。
脚の上部の耳のように外にピョンと出ている部分は、「肩」と呼ばれます。肩の部分と、脚の先は雲の紋様。
脚の内部は、シンプルな透かし彫りです。
そして、上の蟇股の両サイドにある蟇股がこちら↓
キタ━(゚∀゚)━!
この蟇股を見た瞬間、私の興奮度が急上昇☆
この蟇股の形状、元祖蟇股の形状から蟇股への偏移を彷彿とさせるものなんです!
蟇股は、そもそも上下の水平な木材を斗と一体となって支える為の構造材だったんです。
その元祖蟇股は、「人字形割束」という文字通り、『人」の字の形をした束と思われます。
(別の見解もあるので、あくまで私の見解です。)
ここからは、ちょっと分かりづらいので、お粗末ながらスケッチで。
一番左のものが、人字形割束です。
法隆寺金堂の高欄部分に見られます。法隆寺では、高欄以外の部分に一番右の蟇股も見られます。
法隆寺が火災にあった後、奈良時代初期に再建された際の影響だと思います。
中央のものは、束と併用された蟇股で、とても珍しいもの。唐招提寺の講堂に見られます。
そして、奈良時代一般的だったのが、一番右の初期蟇股です。
この頃は、まだ構造材としての役割が大きかった蟇股は、装飾性が乏しく、カエルっぽくありません。
平安時代後期になると、カエルに似た形になってきます。
・・・いっぱい、話がそれてしまう(;´∀`)
善楽寺さんの蟇股、この人字形割束に似てませんか?!
人字形割束とは、構成が違うのですが、蟇股と束の中間のような形状。
そして、装飾も抑えたシンプルな形。
そしてそして、リラックス蛙と真反対の、起立!状態の脚☆
時代的に見ると、善楽寺さんの創建時の蟇股の発展の逆を行ってる感じなんです。
なんと!面白い!!
そして、もう一つの蟇股↓
この蟇股は、向拝の柱と本殿の柱の間の虹梁部分です。(さっきの虹梁と直角の位置にあるもの)
こちらの蟇股は、畏まってる脚。
最初にご紹介した蟇股に比べて、脚の広がりが少ないですね。
これは、江戸初期までの蟇股に多い形で、室町時代に多く見られます。
こちらも蟇股も彫刻がシンプル☆
ちなみに、写真を見返していて気づいたんですが、この写真で左右の位置にある肘木も面白い特徴が!
写真左手の肘木は、和様の特徴が見られるんですが、左側は、禅宗様の特徴が見られるんです。
お寺が建立された明和元年は、江戸時代後期に当たりますが、こちらのお寺は、その頃の蟇股に比べてかなり古い蟇股の手法を取り入れていました。
大工さんが、かなりの旧建築オタクだったんでしょうか。
それとも、他で使われていた旧建築の材を転用して作ったのでしょうか。
ムムム、かなり面白い歴史物語がありそうな建物です☆
次回は、本堂内部をレポートします(*'ω'*)
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
この記事へのコメント
先日は寒い中、取材ご苦労様でした。こちらも色々と勉強になりました。蟇股のこと・・これまで意識してなかったです。(^^;;読者登録しました。今後ともよろしくお願いします。
Posted by zen at 2017年02月17日 21:45
zenさん、お読み頂き、コメントも有難うございます!
こちらこそ、快く色々と拝見させてくださり、有難うございました。
読者登録も有難うございます!
沢山、ご紹介したい箇所があるので、何回かに分けての記事になりますが、書かせていただきます⭐️
今後とも宜しくお願い致します。
こちらこそ、快く色々と拝見させてくださり、有難うございました。
読者登録も有難うございます!
沢山、ご紹介したい箇所があるので、何回かに分けての記事になりますが、書かせていただきます⭐️
今後とも宜しくお願い致します。
Posted by 谷野設計
at 2017年02月18日 18:03
