2018年09月07日
古民家博物館にご寄贈いただいた瓢箪ケース☆中身の正体なんやろな?(*´ω`*)
こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
前回の記事では、飛鳥~奈良時代の古い瓦の紋様について書きました☆
今日は、天王寺のことを書こうか、耐震診断の現場のことを書こうか、それとも~と悩んでいたのですが、
打合せで伺ったお宅で、またもや古民家博物館へ寄贈品を賜りまして(*´▽`*)♪
第一号は、
第二号は、
第三号寄贈品をご紹介したいと思います(^^)
「面白いものが出てきてね」と持ってきてくださったのはこちら

なんだか、ミニバイオリンでも入っているのかな?といった形のケース。
ひょうたんのようにも見えます。
中には何が入ってるんだろう⁇^(о´∀`о)
ワクワクしながら開けてみると、

これは!!
古い秤(はかり)ではないですかっ☆

棒の先に、お皿が吊り下げられています。

重さを計るための錘(おもり)も入っています。
お皿が1つのみの秤なので、天秤では無くて、棹秤(さおばかり)
棒のお皿と反対側に錘をぶら下げて、水平になるように錘を動かします。その位置のメモリを読んで重さを量ります。

棒の部分にメモリが付いています。(写真では分かりづらいですが)
棒は真鍮で、芯に象牙が使われているようです。
メモリが途中で切れているところがあり、ポッキリ折れているようです。実際は、もっと長い棹ですね。
お皿に何か書いてある☆
お皿には刻印がありました☆

刻印は
「御秤屋 神善四郎(じんぜんしろう)」
とあります☆
その下に丸に「極」の刻印
錘にも、善四郎の印があります。

江戸時代に幕府が秤について、厳しく定めた法律がありました。(承応2年/1653年 )
秤の規格を決めて、全国で同じものを使おうね!と決めたんです。
その法律の中で、秤座という秤の製造販売から点検・メンテナンスまでを東と西の2家に限定しました。
(秤座の誕生)
東は守随家(しゅずいけ)、西は京都の神家(じんけ)。
「神善四郎(じんぜんしろう)」は、その秤屋神家の初代のお名前で、以降、代々襲名されました。
幕府がわざわざ法律で定め、守随家と神家に市場独占させたこの秤、
銀秤(ぎんばかり)と言って、銀を量るための秤です
江戸時代、関西を中心に銀が通貨となり、中期まで秤量(しょうりょう)貨幣として流通していました。
秤量貨幣というのは、重さをはかって金額とする事です。
金額を定めるために重要な秤だったので、不正が起きないように、偽造や質の統一を図ったんですね。
点検やメンテナンスは「秤改め(はかりあらため)」と言って、
定期的に行われました。
時代劇で良く見る「御用だ!御用だ~!」の葵の紋入りの提灯を下げて、帯刀を許された両家の担当者が全国を回る大行事です。
点検に合格した秤は「改極印(あらためごくいん)」が押され、修理・取替の際は引取修理、修理不可の場合は没収!
いただいた秤にも、ケースに「改皿」の極印。

お皿と錘に「極」の印がありました。

幕府と東・西の両家が厳しく取り締まった銀秤。
実は、その秤の精度自体はあまり良くなく、法令により改良が出来なかったために、
結果的に技術の発展にも制限がかかってしまいました・・・
明治初頭に秤座は廃止され、外国との貿易が活発になってからは秤の精度も向上していきます。
江戸中期頃には多く出回っていたようで、お医者さんや薬屋さんが、薬の調合の際に使う秤としても活躍したようです。
極印による時代の特定と、お皿を詳しく調べたら、お家の歴史がもうちょっと解明できるかもしれません☆
お家の歴史を感じる素敵な古民具を寄贈いただいたこと、本当に有り難いです(*´ω`*)
大切にします(*^-^*)
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
前回の記事では、飛鳥~奈良時代の古い瓦の紋様について書きました☆
今日は、天王寺のことを書こうか、耐震診断の現場のことを書こうか、それとも~と悩んでいたのですが、
打合せで伺ったお宅で、またもや古民家博物館へ寄贈品を賜りまして(*´▽`*)♪
第一号は、
2018/03/06
第二号は、
2018/03/31
第三号寄贈品をご紹介したいと思います(^^)
「面白いものが出てきてね」と持ってきてくださったのはこちら

なんだか、ミニバイオリンでも入っているのかな?といった形のケース。
ひょうたんのようにも見えます。
中には何が入ってるんだろう⁇^(о´∀`о)
ワクワクしながら開けてみると、

これは!!
古い秤(はかり)ではないですかっ☆

棒の先に、お皿が吊り下げられています。
重さを計るための錘(おもり)も入っています。
お皿が1つのみの秤なので、天秤では無くて、棹秤(さおばかり)
棒のお皿と反対側に錘をぶら下げて、水平になるように錘を動かします。その位置のメモリを読んで重さを量ります。

棒の部分にメモリが付いています。(写真では分かりづらいですが)
棒は真鍮で、芯に象牙が使われているようです。
メモリが途中で切れているところがあり、ポッキリ折れているようです。実際は、もっと長い棹ですね。
お皿に何か書いてある☆
お皿には刻印がありました☆

刻印は
「御秤屋 神善四郎(じんぜんしろう)」
とあります☆
その下に丸に「極」の刻印
錘にも、善四郎の印があります。

江戸時代に幕府が秤について、厳しく定めた法律がありました。(承応2年/1653年 )
秤の規格を決めて、全国で同じものを使おうね!と決めたんです。
その法律の中で、秤座という秤の製造販売から点検・メンテナンスまでを東と西の2家に限定しました。
(秤座の誕生)
東は守随家(しゅずいけ)、西は京都の神家(じんけ)。
「神善四郎(じんぜんしろう)」は、その秤屋神家の初代のお名前で、以降、代々襲名されました。
幕府がわざわざ法律で定め、守随家と神家に市場独占させたこの秤、
銀秤(ぎんばかり)と言って、銀を量るための秤です

江戸時代、関西を中心に銀が通貨となり、中期まで秤量(しょうりょう)貨幣として流通していました。
秤量貨幣というのは、重さをはかって金額とする事です。
金額を定めるために重要な秤だったので、不正が起きないように、偽造や質の統一を図ったんですね。
点検やメンテナンスは「秤改め(はかりあらため)」と言って、
定期的に行われました。
時代劇で良く見る「御用だ!御用だ~!」の葵の紋入りの提灯を下げて、帯刀を許された両家の担当者が全国を回る大行事です。
点検に合格した秤は「改極印(あらためごくいん)」が押され、修理・取替の際は引取修理、修理不可の場合は没収!
いただいた秤にも、ケースに「改皿」の極印。

お皿と錘に「極」の印がありました。

幕府と東・西の両家が厳しく取り締まった銀秤。
実は、その秤の精度自体はあまり良くなく、法令により改良が出来なかったために、
結果的に技術の発展にも制限がかかってしまいました・・・
明治初頭に秤座は廃止され、外国との貿易が活発になってからは秤の精度も向上していきます。
江戸中期頃には多く出回っていたようで、お医者さんや薬屋さんが、薬の調合の際に使う秤としても活躍したようです。
極印による時代の特定と、お皿を詳しく調べたら、お家の歴史がもうちょっと解明できるかもしれません☆
お家の歴史を感じる素敵な古民具を寄贈いただいたこと、本当に有り難いです(*´ω`*)
大切にします(*^-^*)
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp