2016年08月16日
飛騨国分寺本堂
こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今回は、飛騨国分寺の本堂。

天平18(746)年、聖武天皇の勅願により創建されました。開基は行基。高野山真言宗のお寺です。
屋根は、入母屋造りで、銅板葺き。
真言宗のお寺に多く見られるように、本堂を囲うように廻り縁があります。

弘仁10年(819年)八月に火災があったという記録以降、近世までの詳細は不明になっています。
昭和29年に本堂の解体修理が行われました。
建築様式と手法が室町時代中期以前、正面の向拝と東側は桃山時代の修理であることが分かりました。

桃山時代の修理の痕は、豊臣秀吉の命を受けて金森長近(かなもりながちか)が飛騨を平定した際に寺院の再興に当たった時のものだと考えられています。
解体修理の際に、地下45センチに南北四間、東西七間の金堂と推定される建物の礎石が確認できたそうです。

外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式。





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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
今回は、飛騨国分寺の本堂。
天平18(746)年、聖武天皇の勅願により創建されました。開基は行基。高野山真言宗のお寺です。
屋根は、入母屋造りで、銅板葺き。
真言宗のお寺に多く見られるように、本堂を囲うように廻り縁があります。

弘仁10年(819年)八月に火災があったという記録以降、近世までの詳細は不明になっています。
昭和29年に本堂の解体修理が行われました。
建築様式と手法が室町時代中期以前、正面の向拝と東側は桃山時代の修理であることが分かりました。
桃山時代の修理の痕は、豊臣秀吉の命を受けて金森長近(かなもりながちか)が飛騨を平定した際に寺院の再興に当たった時のものだと考えられています。
解体修理の際に、地下45センチに南北四間、東西七間の金堂と推定される建物の礎石が確認できたそうです。

外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式。

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Posted by 谷野設計 at 14:50│Comments(0)
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