2017年03月14日
探訪の原点『ふるさと探検倶楽部』と富田茶臼山古墳
こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
久しぶりの更新になってしまいました(;´∀`)
沢山書きたいことがあって、何から書こうかとあれこれ考えているうちに、書かずじまいでため込んでしまった
直ぐに文章化できる技術を身に付けたいと思う今日この頃です。
今日ご紹介するのは、私の地元、大川町の誇る「富田茶臼山古墳(とみだちゃうすやまこふん)」☆国の史跡に指定されています。

寺社建築じゃないよ、と突っ込みを受けそうですが、私の探訪史にとってはとっても大きな存在です。
小学生の時に、クラブ活動という名の自由学習が始まった時に、『ふるさと探検倶楽部」というクラブを郷土愛の強い先生が作りました。
自転車で校外に出て、故郷の自然や歴史などに触れるという倶楽部。
5・6人ほどの小さな倶楽部でしたが、その倶楽部活動がとても楽しくて、大川が大好きになりました。
史跡や建物、土地の歴史に興味を持つようになったきっかけでもあります。
大川には、沢山の古墳が残されているのですが、その中でも最大級の大きさの富田茶臼山古墳。
実は、四国最大級の前方後円墳です。
誰のお墓かは分かっていないのですが、謎が多いとよりワクワクします(^^)
今回、茶臼山古墳に来た目的は、測量の為。
茶臼山古墳の東屋の移築のお仕事です。
茶臼山古墳は、移築する場所の測量を行っていたら、ご近所の方が造ったらしい手作りの案内板が☆

展望台!!早速行ってみよう♪

田んぼのあぜ道ではないですかっ☆ホッコリします。この場所を展望台として開放してくれているなんて、茶臼山古墳への愛を感じます☆

展望台にも、手書きの看板が(*‘ω‘ *)
溢れんばかりの古墳愛☆
そこから撮った写真↓

全体が見渡せる☆
(∩´∀`)∩ワーイ!! 展望台を造ってくださった方、有難うございます(*´▽`*)
因みに、この展望台の部分、きっと古墳の堀の堤上だと思うんです。
四国に残された古墳では珍しいんですが、本州の大きい古墳は堀で全体を囲ってあるものが多く、その堀持ち古墳は決まってかなりの権力者!
茶臼山古墳は、当時の四国の古墳に比べたら、かなり本州の古墳の要素を取り入れた画期的な古墳の特徴を持っています。
しかも、仁徳天皇が埋葬されているとされる大仙陵古墳(仁徳天皇陵)と同じ時期に作られていて、古墳の造りも似ているんです。
その為、埋葬されていた方は、大和王権とも交流が深かった四国を束ねていた権力者である可能性があるんです☆
四国の都がココにあった(´▽`)!

長尾街道側から登る階段もあるのですが、今回はせっかくなので、案内板に沿って登ってみました。

裏から登ると分かりやすいのですが、三段になっていて、角の部分には石積みがあります。
戦国時代には、この古墳の上に城があったようで、その時の石垣の跡と言われています。

もうすぐ古墳の頂上。

頂上に昇ると、木の鳥居があります。

円形の方には祠も。

古墳の四角い方の部分。一部削れていることろがあるので、綺麗な方形ではないですが、それもこの土地の人のとっても身近な場所に存在していることの表れですね。

前方の部分から下を見ると、三段になっている部分が良く分かります。
そして、古墳上から見る景色がこちら↓

眺めが良い♪
今でもこんなに長めの良い場所。
当時はどれほどのものだったんでしょう(゜o゜)
この場所から眺めると、他にも様々なことが見えてきます。
本州との貿易に使われた陸路や、富田の都の位置、海路での貿易のルートなど。
久しぶりに、茶臼山古墳に登って、探訪の楽しみと原点回帰が出来た気がします(´▽`)♪
************************
古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
0879-43-6807
info@tanino-sekkei.co.jp
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。
久しぶりの更新になってしまいました(;´∀`)
沢山書きたいことがあって、何から書こうかとあれこれ考えているうちに、書かずじまいでため込んでしまった
直ぐに文章化できる技術を身に付けたいと思う今日この頃です。
今日ご紹介するのは、私の地元、大川町の誇る「富田茶臼山古墳(とみだちゃうすやまこふん)」☆国の史跡に指定されています。
寺社建築じゃないよ、と突っ込みを受けそうですが、私の探訪史にとってはとっても大きな存在です。
小学生の時に、クラブ活動という名の自由学習が始まった時に、『ふるさと探検倶楽部」というクラブを郷土愛の強い先生が作りました。
自転車で校外に出て、故郷の自然や歴史などに触れるという倶楽部。
5・6人ほどの小さな倶楽部でしたが、その倶楽部活動がとても楽しくて、大川が大好きになりました。
史跡や建物、土地の歴史に興味を持つようになったきっかけでもあります。
大川には、沢山の古墳が残されているのですが、その中でも最大級の大きさの富田茶臼山古墳。
実は、四国最大級の前方後円墳です。
誰のお墓かは分かっていないのですが、謎が多いとよりワクワクします(^^)
今回、茶臼山古墳に来た目的は、測量の為。
茶臼山古墳の東屋の移築のお仕事です。
茶臼山古墳は、移築する場所の測量を行っていたら、ご近所の方が造ったらしい手作りの案内板が☆
展望台!!早速行ってみよう♪
田んぼのあぜ道ではないですかっ☆ホッコリします。この場所を展望台として開放してくれているなんて、茶臼山古墳への愛を感じます☆
展望台にも、手書きの看板が(*‘ω‘ *)
溢れんばかりの古墳愛☆
そこから撮った写真↓
全体が見渡せる☆
(∩´∀`)∩ワーイ!! 展望台を造ってくださった方、有難うございます(*´▽`*)
因みに、この展望台の部分、きっと古墳の堀の堤上だと思うんです。
四国に残された古墳では珍しいんですが、本州の大きい古墳は堀で全体を囲ってあるものが多く、その堀持ち古墳は決まってかなりの権力者!
茶臼山古墳は、当時の四国の古墳に比べたら、かなり本州の古墳の要素を取り入れた画期的な古墳の特徴を持っています。
しかも、仁徳天皇が埋葬されているとされる大仙陵古墳(仁徳天皇陵)と同じ時期に作られていて、古墳の造りも似ているんです。
その為、埋葬されていた方は、大和王権とも交流が深かった四国を束ねていた権力者である可能性があるんです☆
四国の都がココにあった(´▽`)!
長尾街道側から登る階段もあるのですが、今回はせっかくなので、案内板に沿って登ってみました。
裏から登ると分かりやすいのですが、三段になっていて、角の部分には石積みがあります。
戦国時代には、この古墳の上に城があったようで、その時の石垣の跡と言われています。

もうすぐ古墳の頂上。
頂上に昇ると、木の鳥居があります。

円形の方には祠も。
古墳の四角い方の部分。一部削れていることろがあるので、綺麗な方形ではないですが、それもこの土地の人のとっても身近な場所に存在していることの表れですね。
前方の部分から下を見ると、三段になっている部分が良く分かります。
そして、古墳上から見る景色がこちら↓
眺めが良い♪
今でもこんなに長めの良い場所。
当時はどれほどのものだったんでしょう(゜o゜)
この場所から眺めると、他にも様々なことが見えてきます。
本州との貿易に使われた陸路や、富田の都の位置、海路での貿易のルートなど。
久しぶりに、茶臼山古墳に登って、探訪の楽しみと原点回帰が出来た気がします(´▽`)♪
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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
さぬき市大川町富田西2911-1
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