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Posted by あしたさぬき.JP at

2019年08月01日

三大名棚-文藝家の桂さん、俳人の醍醐さん、霞姫?!三種三様の名作

日本人は、三大〇〇がお好き☆
三大祭り、三大史跡、三大稲荷、三大山城・・・・

沢山の日本を代表する3つのものを定めています。
その殆どが、具体的な根拠や統計の裏付けはないようですが、
前回の記事、
の後半でもご紹介しましたが、床脇(とこわき)の棚によく用いられる違い棚にも代表的なものとしてあげられる3つの棚『三大名棚』があります。


こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


さてさて、今回は、その3つの棚、
桂離宮中書院の『桂棚』

醍醐寺三宝院の『醍醐棚』

修学院離宮の『霞棚』


をご紹介します☆
(ラフスケッチで失礼します(^^;) )


桂離宮中書院の『桂棚』

中書院は、一の間、二の間、三の間からなり、桂棚のあるのは、一の間です。
櫛型の火灯窓付書院の脇に棚板、地袋、袋棚を組み合わせた桂棚があります。
L字の壁際を効果的に利用した配置で、実用的かつ装飾性にも富んだ名棚と呼ばれるに相応しい造りです☆
書院の書院たる由縁を感じれらますね☆
イメージは、勤勉な文藝家。



醍醐棚は、永久3年(1115)に創建された醍醐寺三法院の奥宸殿にあります。
奥宸殿は、江戸初期に建てられたといわれています。

(大雑把なスケッチで申し訳ない。。。)
棚の奥壁側に、透かし彫りを施した背面板を設けています。
一見素朴ながら、彫刻の巧みさや金具の用い方など、細かい部分に優雅さを纏った棚です。
イメージは、小さめの丸眼鏡が似合う俳人。


醍醐寺の違い棚でも一つ補足すると、醍醐寺の表書院には、西楼棚があります。
表書院の造りは面白くて、縁側を設け欄を巡らせた寝殿造りの様式を取り入れています。
下段・中段・上段の間の三つの間で構成されていて、
下段の間は、畳をあげると能舞台にもなるように造られています。


修学院離宮の『霞棚』

客殿内の一の間にあります。
互い違いに大小五枚の棚板が吊られています。
霞棚という名称は、この棚板の配置が、霞がたなびいているように見えることから名付けられたと言われています。
この霞棚は、棚の配置もとっても素晴らしいのですが、私のスケッチ力では、表現出来ない見どころが沢山あります☆

壁には、和歌や漢詩が書かれた色紙が、これまた絶妙な配置で貼られ、
地袋には友禅染めが用いられ、引手は羽子板を、釘隠しは花車をかたどった七宝流し、飾り金具に葵の紋、、などなど
奥ゆかしい雅さを持った棚です☆
イメージは、聡明で見目麗しい姫君。


私の勝手なイメージも添えちゃいましたが、皆さんは、どんなイメージを持ちましたか?(^^)
私は、よく擬人化したイメージで見ることが多いのですが、建物そのものを擬人化したり、そこにイメージで人を配置すると、
あら不思議!!
不思議と細部に気がついたり、全体像を把握しやすくなったりと、面白い発見が生まれることが多いんです♫
是非、試してみてください(^^)


因みに、今回ご紹介した「違い棚」の3名棚の他に、別の3大棚があります。
それは、
厨子棚、黒棚、書棚の3つ。
この三大棚は、武家の娘が嫁入りの際に持参した婚礼調度です。
室町時代には厨子棚と黒棚の2つでしたが、江戸時代に書棚が加わり、三大棚と呼ばれるようになりました。


三大〇〇、を巡る探訪をしても面白そうですね☆

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古民家再生と築40年以上の木造住宅改修・設計専門店
工事も頼める設計屋さん
㈲谷野設計
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Posted by 谷野設計 at 23:47Comments(0)日本建築豆知識建築用語

2019年07月29日

ともこさんからのご質問☆-鳥居棚と同じような勧修寺棚があるのですが・・・

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


以前、床脇棚(とこわきたな)の一種、鳥居棚について書いた記事に、ご質問いただきました。
ご質問いただきました、ともこさん、ありがとうございます(^^)

↓ともこさんからのご質問

『はじめまして、鼠潜りを調べていてこのサイトに到着しました。
コンテツの内容が、とてもおもしろく興味深く読ませていただいています。

その中で鳥居棚についてなのですが、
私が住んでいる町に勧修寺棚というのがあります。 
鳥居棚と全く同じような構造だったので
同じものを鳥居棚又は、勧修寺棚というのでしょうか?
ふと気になったもので質問しました。』



ご質問の内容についてですが、まさしく!!
厳密には、鳥居棚は地袋込みで呼ばれるので、鳥居棚の地袋がないタイプ「西楼棚」と「勧修寺棚」が同じものです☆


「勧修寺棚」は、その名の通り、京都の勧修寺、書院の一の間に使用されていることから、そのように呼ばれるようになりました。
呼び方が異なるのは、宗派の違い、京風・関東風の違い、書院と茶の間とどちらに影響を受けているか、等で使い分けられるようになったと思われます。

因みに、勧修寺棚のように、使われたお寺の名前をそのまま棚の名前にしてあるもので代表的なものに、「曼殊院棚」(京都曼殊院小書院に用いられている)があります☆

棚の名前の他にも、お寺の名前が名称に使われている者は、沢山あります。
灯籠や、垣根、門など、日本建築はお寺で用いられてから普及したものが数多くあることが分かります。
建築意匠のセンスのあるご住職も多々いらっしゃったようで、住職が考案したとされるデザインも沢山あります☆


因みに、床脇に使われる床脇棚の中で、『天下の三大名棚』と称される違い棚があるのをご存じですか?
三大〇〇って、よく聞きますが、違い棚にも誰がいつ名付けたのか、あるんです。

その3種の違い棚は、

醍醐寺三宝院の『醍醐棚』

修学院離宮の『霞棚』

桂離宮中書院の『桂棚』


それぞれ、違う趣でとっても素敵です☆


次回は、スケッチと一緒に、この三大名棚をご紹介します☆


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Posted by 谷野設計 at 22:01Comments(0)日本建築豆知識建築用語

2018年10月11日

方角を教えてくれる石垣は、鬼が逃げる恐い石垣?!

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


前回の記事では、鹿児島の仙巌園で見つけた釘隠しのご紹介をしました(*^-^*)

今日は、旅の一日目に鹿児島城(別名:鶴丸城)付近を散策した際に見つけた石垣についてご紹介します☆

お城の石垣を想像してみてください。
通常は、下の写真(大阪城の石垣)のように、角が有りますよね。



でも、鶴丸城の石垣には、角が無い石垣が有ります。
角っこが内側に凹んでいます。


しかも、この角が無い石垣は、四隅の内で一か所だけ。


なるほど!今、北東にいるのね(^^)

この角無し石垣を見ると、方位が分かるんです(*'ω'*)♪
方向音痴で道に迷いやすい私には、とっても助かる目印☆


なんで、方角が分かるかは、何故、角を削っているか?に関係があります。

なぜ削っているか?というと、ズバリ!

北東の方角だから!!


なんのこっちゃですね汗

でも、北東という方角に意味があるんです。

北東は、古来より、陰陽道で鬼門とされています。
鬼が出入りする喜ばしくない方角なんです。

鬼が出入りしないように、鬼門を封じる方法には、いくつか有ります。

その一つが、隅を切る「隅欠(すみおどし)」です。

鬼は角を好むと信じられてきたため、角を削っているんです。
鬼の角(つの)を取る、という意味もあります。

鶴丸城を築城した島津忠恒は、陰陽道(日本風水)を重んじた方だったんですね☆
そんな事を思いながら、角無し石垣の前で記念にパシャリカメラ


因みに、鬼門封じには、いくつかの方法があると書きましたが、
その中でも石垣に用いられる方法では、
石垣に分銅紋の刻印をしたり、☆(五芒星)や井の刻印をしたりといったことがあります。


隅欠石垣は鬼門=北東を示すと覚えておけば、いざという時、もしかしたら役に立つかも?!知れません(#^.^#)

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Posted by 谷野設計 at 23:37Comments(0)日本建築豆知識お城の探訪記

2018年10月08日

ご当地のレア物釘隠しがコレクションに仲間入り(´▽`*)

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


連休中、鹿児島へ行ってきました。

当初の目的は、屋久島で縄文杉を見ることだったのですが、
残念ながら、台風の影響で鹿児島からの屋久島行き飛行機が欠航。
(以前、高取城に登ったのは、屋久島トレッキングの予行演習でした。)

屋久島は、また再チャレンジすることにして、今回は、鹿児島のパワースポットや史跡などを巡りました☆

飛行機の欠航が決まってから、即座にあちこちに電話して鹿児島の旅程を組んでくださったNNA(株)の永野さん。
永野さんのおかげで、はじめから鹿児島が目的だったと思えるくらい、楽しい探訪旅行になりました(*^▽^*)
有難うございます☆

あまりに充実して、沢山探訪したので、書くことが沢山ピカピカ


今日は、鹿児島探訪で増えた釘隠しコレクションをご紹介(*´ω`*)♪

先ずは、シンプルなものから☆

釘隠しの最も古いタイプに近い饅頭型の釘隠し


四方を面取りした長方形の黒漆塗り


同じく面取りの長方形ですが、模様の入った漆塗り


四葉の形




ここからは、ちょっとづつレアなもの☆
巾着型の釘隠し

巾着には、「お金がたまりますように」「家業が繁栄しますように」といった願いが込められています。



桃は、瓦のおまじないの記事でも書きましたが、邪気払い、悪霊を追い払う意味があります。

コウモリの釘隠し

コウモリの釘隠しは、逆さのものや、飛んでいるものなど、同じコウモリでもレパートリーが豊富です。
蝙蝠は、「福が訪れますように」というおまじないの意味があります。

葵の釘隠し

葵の紋といえば、三つ葵の徳川の家紋が最も有名ですね☆
でも、実は、三つ葉の葵は、架空のもので、この釘隠しのように双葉のものが通常の葵です。
多年草であることから、長く繁栄するようにという願いがあります。
また、双葉葵は、京都の加茂神社の神紋で、神聖な植物として古くから知られています。


茶の実

茶の実は、高級品で霊験あらたかな薬として珍重されたため、「長寿」や「健康」の願いが込められています。

透かし彫りの菊の紋

菊の紋自体は、とても多いですが、このような手の込んだ透かし彫りはなかなかのレアものです☆


そして、最もレア度の高いこちら(´艸`*)
桜島大根☆

他の地域では見られないご当地釘隠しです♪
大根は、聖歓喜天という神のお供え物として、福をもたらす野菜とされています。
また、邪気払いや、無病息災の意味もあります。

大きな桜島大根なら、なおのこと効果絶大な気がしますね(´▽`*)


これらの釘隠し、実は、一つの建物で撮ったもの。
こんなに沢山の種類の釘隠しが用いられているのは、なかなかありません。
その建物、仙巌園の御殿です。

色んな釘隠しに出会えてルンルンで御殿を出た後、外の看板に気づきました。

”探してみよう、釘隠し”の看板!
見ると、建物内にある釘隠しがすべて載っていました('Д')
全11種類! 
私が見つけたものと確認すると、
漏れなく見つけてる☆わ~い(´▽`*)♪


こんな看板があると、お子様連れでも、楽しく建築探訪出来ますね☆
釘隠しって何?という方でも、これがきっかけで日本建築に興味を持ってくれたら嬉しいです(*'ω'*)
素敵な看板にも、ホッコリしました(*^-^*)

その他の釘隠しコレクション





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2018年09月27日

恐怖の間?!神聖な間?!4畳半の切腹の間

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


築50年ほどのお宅の部分修繕の工事が始まります。
入れ替える畳の寸法を測りに職人さんと伺いました。

畳の寸法は、京間・関東間・四国間などあるので、実際にお宅で寸法を測り、
部屋にピッタリ合うように採寸する作業はとても重要です。

間の寸法を測っています。


厚みを測っています。


測った寸法をメモしている職人さん


こちらの和室は4.5畳の部屋です。
寸法しながら、詳細の打合せをしている時、
畳職人「今、この部屋は左付きのキョウマなので、右付きに変更しますね」

キョウマ(゜-゜)。。。キョーマ(゜-゜)。。。

畳に関するキョウマは、3種類あります。
モジュール単位の京間
狭い部屋を表す狭間
そして、もう一つ、

あ!!凶の間の凶間か(´゚д゚`)!!
「はい!右付きでお願いします!」

左付き・右付きというのは、畳の敷き方のことです。

部屋の中央に立って、正面を見たときに、左から畳を敷き並べているのが左付き。


右から畳を敷き並べているのが右付きです。



左付きは、縁起が悪いとされています。

なぜ、左付きは縁起が悪いとされているんでしょう?!

左付きの畳を線で描くと、



卍(まんじ)の形になります。

この畳配置は、切腹の間に使われていた配置。

その為、左付きの畳の敷き方は縁起が悪いとされ、凶の敷き方とされます。

凶の敷き方をした部屋を、凶の間といいます。


以前、ハレ(お祝いごと)の際の「祝儀敷き」とケ(忌みごと)の際の「不祝儀敷き」で畳を敷き替える慣習「畳敷様(たたみじきよう)」について書きましたが、
この凶の間は、それとは異なるものです。
(現在では、不祝儀敷きとひとまとめにされている説明も見受けられますが、
本来は生活場面に合わせて畳を敷き替える慣習である畳敷様と切腹の間は別物です)

卍(まんじ)は、寺院のマークとして使用され、吉祥のシンボルとされて来ました。
漢字であり、文様であり、シンボルマークでもあります。

その吉祥のシンボルが、なぜ凶の間に使われているのでしょう?


これは、「切腹」という行為が、武士にとって名誉な死に方とされていたことと関係します。
現在では考えられませんが、武士にとっての神聖な儀式だったんです。
その為、名誉の最後を称え卍の間にされていたと考えられます。


切腹の部屋は、神聖な儀式の間だったんです。


時代を経て「切腹」が負のイメージに変わったことで、凶の間、縁起が悪いとされるようになったんですね。

ただ、床(とこ)のある部屋や茶室では、部屋の用途が優先されるため、卍敷きだから凶の間とは限りません。

因みに、切腹の間とは全く異なる、卍敷きがあります。
江戸時代前期の8畳間で流行っていた敷き方。
桂離宮の中書院、二の間が有名です。

畳の中央に注目すると


卍(正確には逆卍)になっています。


武士にとっては、最後の名誉をかけた切腹の部屋。
とはいえ、現代ではなんだか恐ろしく感じてしまいますし、あまり気分の良いものではありません。
4畳半の畳部屋を作る時(特に真ん中に半畳を配置する際)は、右付の畳配置がおすすめです。


畳の関連記事は↓






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Posted by 谷野設計 at 16:25Comments(0)日本建築豆知識建築用語床材

2018年09月06日

古代の瓦のオンパレード☆瓦の文様の歴史

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


大型台風また、地震により、被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。
立て続けに色んな災害が全国で起きていて、なんとも言えない不安感がありますね。
いざという時に、どう動くかを色んな場合を想定して考えておかないとと思います。

被害にあわれた方が、一日も早く心の平穏を取り戻せますように。


前回の記事では、お寺の扇の骨組みのような屋根の木をご紹介しました。

今日は、大阪1日観光×探訪の際に、私が見たかった瓦をご紹介(*´ω`*)

前置きですが、都と聞くと、「平城京」や「平安京」と思い浮かぶ方が多いと思いますが、飛鳥~奈良時代には他にも都となった場所がありました。
小学校の時に、語呂合わせで年号を覚えた645年の「大化の改新」
この大化の改新後、チョコチョコと都が変わっています。

その都がチョコチョコ変わったよ~の中でも、大阪の難波宮(なにわのみや)は2度都になっています☆
1度目を前期難波宮
2度目を後期難波宮
と区別して呼ばれます。

因みに、大阪なんばにあるかと思いきや、大阪城の直ぐ近く、歴史博物館から見える場所に位置しています。

(歴史博物館から見た難波宮跡地)

平城京の跡地探訪の記事中で、奈良時代の瓦造りの発達について書いていますが、
お寺以外に瓦屋根が取り入れられるようになったのは、藤原宮以降です。

そして、前期難波宮は藤原宮より古いので、屋根は瓦葺きではありません。
後期難波宮は、瓦葺きなのです☆

難波宮は、前期と後期の間で目まぐるしい建物の発展があり、そのことを遺構がはっきりと示しているんです\(^o^)/
前期と後期で見比べられる遺構なんて、そうそうあるものじゃないので、それだけでワクワクしますね(´▽`*)♪


あ、また瓦の話から逸れてしまいそうなので、ざっくり説明すると、
前期では、掘立柱(ズボッと地面に柱を立てる)&植物性屋根
後期では、礎石に柱を立てる&瓦屋根


では、本題の瓦です\(^o^)/

難波宮で使われた瓦の文様は、藤原宮で使われた紋様と同じ。
「複弁蓮華文(ふくべんれんげもん)と言います。
平城京跡地の記事でご紹介した瓦文様と同じですね☆



奈良時代を通して、複弁蓮華文は主流な文様です。

そしてもう一つの紋様、
丸の中に丸、その中に丸・・・
と丸を重ねた紋様。
「重圏文(じゅうけんもん)」と言います。



お寺以外の建物に使われるようになった時には、「複弁蓮華文(ふくべんれんげもん)」が既に文様としてありました。

それでは、その前は~?というと、
一番古い瓦は、「瓦の文様に秘められたおまじない」という記事の中で、最古の鬼瓦をご紹介していますが、
「素弁蓮華文(そべんれんげもん)」です。


朝鮮半島の百済(くだら)から瓦の専門家を呼び寄せて瓦造りの技術は日本に輸入されました。
素弁蓮華文は、百済の瓦ととてもよく似ています。


素弁蓮華文に子葉が重ねられ、より立体的に、より花っぽくなったものが
「単弁蓮華文(たんべんれんげもん)」です。

(大阪市泉南市役所HPより)


この日の夕方訪れた大阪市天王寺でも、単弁蓮華文を沢山見ることが出来ました。
因みに、四天王寺の創建時は素弁蓮華文が使われていて、百済との深いかかわりが瓦以外にもあります。
それはまた、別記事でご紹介しますね☆



寺院に限られていた瓦が、宮殿建築に用いられて以降、瓦は面白い発展の仕方をします☆
お寺と宮殿、それぞれの瓦を造る組織が分かれ、瓦を造る地域も広がっていきます。
その為、瓦の文様は多様なものへとなっていきます。
外国からもたらされた技術が、日本独自の発展を遂げ、日本の屋根材の代表格になっていったんですね☆

その発展の分岐点を感じることの出来た探訪は、とっても楽しかったです(´艸`*)

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2018年08月22日

家紋図鑑ー高取城城下町「土佐町」編

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


前回の記事では、高取城の麓にある長屋門のレアなまこ壁をご紹介しました☆

今回は、高取城の城下町「土佐町」の古民家屋根の家紋をご紹介します☆

まずご紹介するのは、こちら(^^)

植村割桔梗(うえむらわりききょう)
高取藩植村氏の家紋ですピカピカ

桔梗は、秋の七草の一つ。
桔梗の紋は、徳川政権時代に多くの大名家や幕臣が採用しました。


次は、こちら☆
大抵の城下町で見ることが出来るメジャーな家紋。
橘(たちばな)紋。
十大家紋の内の一つです(^^)

橘紋については、以前もご紹介していますが、明智氏や井伊氏、久世氏といった武将が家紋に使用しています。

こちらのお宅では、樋にも橘紋が彫ってありました☆


恵比寿さんの前にある瓦に彫ってあるのは

笹の紋。
9つの笹の葉が描かれている九枚笹(くまいささ)です。
この九枚笹、武将では、竹中半兵衛が用いています。

笹の紋は、古くから神事に縁のある紋様として親しまれてきましたが、
戦国の世では、積雪に耐える強い生命力にあやかり、笹を用いた家紋が急増しました。



こちらは、丸に竪三つ引両。
縦に三つの線が入っています。
伊達家の家紋で有名で、伊達家の沢山ある家紋の中で、一番古いとされています。


今回の土佐町で見た家紋たち、面白い発見がありました☆
それぞれの家紋、橘紋を除いて、全部系統が一致しているんです(^^)

その流派というのが、清和源氏(せいわげんじ)。
沢山ある源氏の系統の中で、最も栄え、武家の本流となった源氏です。
江戸時代、幕末の大名の内4割近くが清和源氏を名乗ったと言われています。
スゴイですね('Д')!!



他にも、珍しい紋が有りました。

こちらの紋は、初めて見ました。
植物の葉っぱのようなものが4つ。
その下に、縄のような紋様が見えます。
お分かりになる方がいたら、是非教えてください☆



こちらは、藤の紋。
藤の紋の種類は沢山あります。
こちらの屋根の藤は「下り藤」。
藤の紋自体は、メジャーなのですが、この紋は気になることが。。
藤の葉っぱ部分が、通常の下り藤と逆向きなのです。。
何か意味があるのか??
まさか、彫る人間違えた?!・・・・謎です。。。


家紋の他の記事は、以下のリンクでご紹介しています(^^)




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Posted by 谷野設計 at 17:34Comments(0)日本建築豆知識古民家探訪屋根

2018年08月20日

奈良県土佐町で出会ったレアなまこちゃんは末端冷え性のお洒落さん♪

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


朝夕がだいぶん涼しくなりましたね(*´ω`*)

前回は、高取城登山と山城探索のことを書きました☆

今日は、高取城の城下町「土佐町」で見たレアなまこちゃんをご紹介します☆


レアなまこちゃんが居たのは、現在は、旧藩主植村氏の居宅で、
旧高取藩主筆頭家老屋敷ピカピカ
奈良県の重要文化財に指定されている長屋門です☆
珍しいなまこちゃんに出会えたのも納得(゜o゜)!!


これまでも古民家のなまこ壁についてご紹介してきましたが、




土佐町で見たなまこちゃんは、さぬきでは見かけないレアなまこちゃんです\(^o^)/


その名も「四つ釘なまこ」
末端冷え性の腰巻ちゃんですね☆

なまこの目地は、「馬乗目地」という縦の目地が真直ぐになっておらず、ズレているもの。
なまこ目地で囲まれた瓦部分に、四つ漆喰のポッチリがあります。
これが、「四つ釘」と呼ばれる部分です。


岡山の倉敷では、中央に1つポッチリがある「1本釘打ち」が、
兵庫県の室津や、山口県の萩では隅に四つと中央に1つポッチリがある「5本釘打ち」が見られます。

土佐町で見たのは、四隅に4つのポッチリピカピカ
この漆喰ポッチリ、何のためにあるかというと、
瓦が落ちるのを防ぐ為にあります。

瓦を土壁に貼り、目地を漆喰で固めただけでは瓦が落ちてしまうので困ったなぁ~となり、その改良法として生み出されたなまこ壁☆
瓦に穴を開け、竹釘や大釘で壁に瓦を留め、その釘の頭を漆喰で塗ったものです(^^)
なまこ壁の歴史上の大革命です☆

この釘を使った改良版なまこ壁は、漆喰で釘を隠すのみにとどまらず、様々な紋様なまこちゃんを生み出すきっかけにもなるんですピカピカ
(お花型とか、七宝文様とか、色んなデザインがあるんですよ(*´ω`*) )

レアなまこちゃんと記念撮影(´艸`*)
登山前の完全装備はご了承ください(/ω\)

なまこちゃんの発展歴史も面白いので、色んな全国のなまこちゃん写真を収集してご紹介したいです(^^)♪


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2018年08月06日

お寺の門の彫刻を外したら、かわいい守り神発見☆

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。


前回は、数寄屋風のお宅で発見した、職人の愛の痕跡について書きました

今日は、東かがわ市のお寺の門の落ちかけていた木鼻(きばな)の補修の際のホッコリしたお話。
以前、で登場したお寺の木鼻です☆



こんな感じで、はめ込んでいる柱と隙間が出来て、落ち掛けになっていました。

補修する為に、一旦木鼻を取り外しました。

取り外した木鼻。松の彫刻が施されています(*´ω`*)

松の彫刻の枝部分に、ピョコっと飛び出ている部分、拡大すると

こんな感じ。

四角く飛び出ている部分が、柱にはめ込む部分です。
この凸側を「ほぞ」と言います。


分かりづらいですが、ほぞがもう一か所あります。
拡大すると

丸で囲った部分、松の葉の端っこも凸部があります☆


木鼻彫刻の上下に出っ張り(ほぞ)を作ってあり、柱に固定されるようになっています☆



「ほぞ」が入る柱側を見てみます☆
ほぞが入る凹側の穴を「ほぞ穴」と言います☆


まず、松の葉部分の出っ張りが入る箇所


そして、枝部分の出っ張りが入る箇所

羽子板のような形でくり抜かれていますね。

羽子板のような形になっているのは、上からはめ込んで下にスライドさせることで、
凸部がしっかりと固定されるようになっているからです。


今回、木鼻が落ち掛けになってしまったのは、松の葉部分の出っ張りを受ける柱の穴が大きくなってしまって、隙ができ、ポコッと外れてしまったため。
枝部分の出っ張りを受ける穴も、少し広がっていました。


その隙間から侵入したのか、柱のくり抜かれた所に、卵の跡が沢山(゜o゜)
棟梁曰く、「ヤモリの卵」だろうとのことでした(*´ω`*)

ヤモリは、「守宮」「家守」と漢字で表される、昔から家の守り神とされていますよね。
事務所にもこの季節になると、現れます☆
何とも言えない愛らしさで、毎年ヤモリが登場してくれると、社長と一緒に喜んでいます(*´ω`*)

お寺の門は、古来から「俗世と聖域の結界」といった精神的な役割の大きい存在です。
外国では、外部からの侵入を防ぐといった物理的な役割を担っています。
同じ門でも、役割が異なるんです☆
因みに、結界という意味でお寺の門と神社の鳥居は同じ役割を担っています。
鳥居のもう一つの役割は、出雲大社の4つの鳥居と合わせて別記事に書いています☆


そんな大事な境界で生まれてお寺を守っているヤモリちゃんがいると思うと、微笑ましくなりました(*´ω`*)


他にもある、お寺の色んな結界☆





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2018年08月02日

和風の木の戸は再生できる☆戸の開け閉めがしづらくなったら

こんにちは☆
さぬき市谷野設計の谷野です(^^)
お読みいただき、有難うございます。

前回は、の記事を書きました☆
特集記事もお楽しみに(*´ω`*)


6月7月は、築50年~70年のお宅の建具調整のご依頼が多くありました。
梅雨の時期は、特に木材の伸縮が起きやすく、戸が開けづらいなど気になることも多かったのかと思います。


障子や、ガラス戸など、長く使っていると、開ける時にきつく感じたり、柱との隙間が気になってきたりといった不具合が出てきますね。

(隙が出来てしまった木の窓)

和風の昔ながらの木の戸やドアの良いところは、戸車を交換したり、鉋で木枠部分(桟や框)を削ったりすることで、再生して使い続けられるところ。

上写真が戸車。
横に開く引戸を滑らせるために、戸の底につける金具です。
レールを使わない種類のものもありますが、一般的には戸車はレールとセットで使われます。

これが、戸車が乗るレール。
戸車の中央が凹んだ溝の形になっているので、そこがレールに乗ってコロコロ回転するようになっています。

戸車の方が、うまく回らなくなったり、レールを止めている釘が浮いたり、レールが歪んだり、と長く使うと戸の滑りが悪くなってくるので、交換します。


職人が古い戸車を外している所。
交換だけで、気になっていた戸の開け閉めが楽になる場合も多いですよ☆


建具職人が、何度も鉋(かんな)を使って微調整をしているところは、いつも惚れ惚れします(*´ω`*)
見惚れすぎて、写真忘れました(*ノωノ)
建具職人のお仕事ぶり、やっぱりステキピカピカ

建具職人は、鉋で削りながら、手に伝わる感触なのか、木目なのか、香りなのか、
これは「台湾ヒノキやな」 「これはアメリカやな」 と。

その都度、薄く削られたものをクンクン嗅いでいたら、発見☆
同じヒノキでも、台湾ヒノキ、アメリカヒノキ(米ヒ)、カナダヒノキ(米ヒバ)、国産と、香りが微妙に異なるんです☆
(国産でも、地域によって微かな違いがあるそうです)

台湾ヒノキは、ちょっとアクのあるような香り、アメリカヒノキはスッキリした香り、というような感じ。
(あくまで私の香りイメージです('ω') 表現が上手いかは分かりませんが、確かに香りが違う!)

ヒノキの香り利きコンテストがあったら面白いなと思いました(*´ω`*)


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Posted by 谷野設計 at 17:00Comments(0)日本建築豆知識建具